客車の特製完成品
客車の特製品は特に他車と編成を組むに当たって色調に違和感の無い様に極力努力を払って製作されています。

製品ランクの目安

製作の加工度合いに拠って組み立て品〜コレクション品までの格付けをしており概ねですが
各ランク共に下表にこれくらい程度の加工を基準としているという目安を表示しています

記号 格付け名称 加 工 程 度 と 解 説
コレクション 手摺りや嵌込み窓等の出来る限りのディティールアップを施したほぼ1点物の作品 
SP スペシャル いわゆる特製完成品 手摺り・特定番加工を標準加工としています。一部は内装加工も有り
プラス 組立加工完成品 キットにプラス手を加えたもので簡単加工〜SPに近いものまで幅が広くバリュー感有り
メイクモデル 基本キットの素組組立品で少しだけサービス加工して線区の雰囲気を出しています エントリーモデル
 アニバーサリーモデル 何年かに一度記念的に製作するモデル

塗装色と塗装表現はランクに関わらず同じ仕様で素組キットでも
パーティングライン消しの継ぎ目消し等は標準加工でしております。
従ってコレクション品と組立品を編成で組んでも大きな違和感は発生しない様に心がけています。

客車の等級帯の表示について

現在と違い戦前は客車には等級帯が必ず塗装されていました。
1等車 白3号・2等車 青?号・3等車 赤1号


戦後はしばらくはこの状態が続きますが、昭和25年頃から更新修繕を受けた車輌から3等車の赤帯は消去されて2等車は浅黄色に色調変更します。
3等車の帯は消されましたが等級表示は残っていて当時の新造車スハ44系はこの状態で出場しています。
1等車は連合軍専用車が白帯となったので(太い白帯に車輌固有名等)、クリーム1号に色調変化させています。
(終戦後に1等車は殆どが連合軍に接収されて国鉄が持っている1等車はほぼ無かったし車輌が荒廃しており営業用として使用していない)
戦後初となる特急 平和 も当初は展望車と食堂車の連結が無かった。(並ロと普通車だけ、その後に食堂車と展望車)
(優等車輌はほぼ接収中で出来なかった・最初の返還は昭和25年はじめからで半年くらいかけて復旧工事をして順次組み込んでいきます)
なお連合軍用としては昭和40年中頃まで返還されない車輌も存在します。(佐世保行き急行の〒荷物車がそれです)
1等車・食堂車の優等車輌は連合軍専用列車に多数組み込まれていましたので本線上では走行はしていました。

昭和30年7月に1等車の廃止に拠って白帯を青帯に塗り替えを行いますが、これもただちにしたわけでなく順次塗り替えをするというもので
2年程度は白帯が存在しています。この時点でマイネ→マロネ等に変更されています。
(2等寝台区分A・B・Cの時代でAは個室、Bは冷房付き等、Cは冷房なし旧2等車・例外で特Cがありこれはマロネ38・49の個室です)
昭和32年にブドウ2号正式にが出来てこれに塗り変わった物が青帯になっていったと類推出来ます。
(従ってブドウ1号の青帯車とブドウ2号の青帯車が混在していた時期はそれなりに有ると言う事)
区分Aはマロネ40・マロネ58の個室とその後登場の20系ナロネ20・22の個室と限られている
(旧マイネ38の5輛のうち3輛は連合軍接収時に冷房化されていた)
Bはマロネ40・58・解放室かマロネ41・ナロネ21やオロネ10も登場時はこの区分
スハ44系と展望車の大部分の特急車輛は青大将色に移行しているのでこの時には等級表示が無い
青大将色が終了してからブドウ2号+青帯になった車輛が一部有ります。(マイ38→マロ38・マイテ49→マロテ49)
青大将時代の展望車は一等車廃止の例外として区分や等級変更はありませんでした。

昭和35に2等車→1等車・3等車→2等車として整理して旧2等車の帯色が黄緑7号に再び塗り替えをします。
この時は早急に塗り替えを行ったと思われます。当初にまた等級を大きく英数字で客扉の横に書かれています。
(これは昭和30年代後期には無い→客扉上の一等車行燈が無い車輛のみ書かれています
この時期にダブルルーフの31系の優等車は格下げになった物が多く有ります。
緑帯の末期は帯の中の等級表示も消されていきます。(帯の中に有るUの表記は消滅・寝台の表記は寝台からA・B寝台へ)
この時に大きく変わったのは内装の椅子ふとん生地で旧3等の緑色は青色の2等用の物になって国鉄時代はこのままで推移します。
旧2等車は1等用のエンジ色もしくは赤系統の色になっています。特ロは最初からエンジ色のシートです。
昭和39年に青15号が近代化更新車輌の標準塗装となっても等級帯は書かれています。
ブドウ2号色そのものは戦後すぐにはすでにありました。
(連合軍専用列車の塗装はブドウ2号塗装)
青15号も20系寝台車以前には色としてはやはりあったそうです。

客車では青15号に塗り替えた車輌は昭和42年頃には等級帯が消されている車輌が出ています。
電車・気動車はグリーンマークと等級帯が併存する時期が比較的長く続きます。(近・中距離の列車は誤乗防止のためと思われる)
昭和44年にモノクラス化で1等車はグリーン車という名称になりグリーンマークがしばらくして書かれるようになります。
昭和48〜50年頃までには等級帯は書かれなくなり消滅しました。

JR化後に本線復帰した車輌は旧一等車のクリーム色帯・緑帯が書かれています。(帯のみで表記は無い)
例としては マイテ49・39、サロ165が有ります。

3軸台車を履く車輌は一度きりの製作で再製作は無いと思います。
(旧TR73台車に限りがあるため・新台車は再入手出来ました)

H30・4に文面変更しました。

今後の3軸台車の製作は台車の残りが新台車が再入手出来た為ある程度は製作出来る素地が整いました。
マロネ29−100番代までで8種類を出力していますのであと2種類で合計10種類でこの3軸シリーズは
終了の予定でしたが新台車(ビス台車)が再入手出来ましたのでしばらくは大丈夫と思われます。
但しそれ程多くはないのでそれ以降の製作はオーダーにて個別でお受けする事となります。

最新更新日 令和3年7月1日

スロ51 ブドウ1号 青帯

昭和25年に登場した特ロの基本的な設備・座席間距離等を確定させた車輛です。
その意味ではかなりエポックメーキング的な車輛ですが、この車輛の目的は急行用として車輛でありスロ60の様に
最初から特急用という事では有りませんでしたが、その分ある程度まとまった輛数が製造されて寒冷地向けのスロ52は
後年のスロ54−500番代が出来るまで北海道の特ロのエースとして長年使い続けられました。
従ってこの車輌は主要幹線の急行で2等の指定席は大体この車輌が充当されています。
(登場当時の特急は つばめ だけです)
この車輌も昭和32〜34年に近代化改造工事で客扉の軽量化と窓サッシがアルミ化されましたがそれ以前の姿としています。

画像では見えにくいのですが、洗面部分のスリガラスは曇りが薄く、トイレのガラスは曇りが強い物を別々に貼り分けをしています。

床板と台車は現行のスハ43+TR47を使っており、その上にプラ板工作で内装板を載せています。

税込み価格=26400円


スロネ30 ブドウ1号 青帯

もう一つの昭和25年製造車で前年にマロネ29改造のマロネ39が以外と好評だったため新製増備の形で10輛のみの製造です。
寝台寸法は長さ1900ミリ・横幅が600ミリと少し狭くなりましたが、これは客席として使用時に着席感覚が狭すぎるという意見があったためです。
4人の個室式で廊下側には天井に荷物置き場が設置されておりこの基本構造は以後全ての寝台車の構造のプロトタイプになりました。
(当時は荷物はチッキ等で預けるのが通常で手回り品も寝台の枕元等に置いていましたが盗難が多発していました。
マロネ39・スロネ30は4人ながら個室の為にドアを開ける必要が有ってその上に天井部分に置かれていた為にの盗難が少なくなりました。)
製造当初は輛数が少ないので当初はマロネ41とのセット運用的な部分も有り主に彗星・銀河・月光が中心となっています。
10系のオロネ10が完成するにつれて東海道筋から東北筋に運用が変わり比較的早期に荷物車に改造されて消滅しました。

内装付き床板の様子
4人用個室が8室並んでいます。旧2等寝台車でこの個室構造をしたのはマロネ38・39とこのスロネ30の3種類のみです。
個室のドアはエッチングパーツをプラ板にはめ込んでから窓の穴開け加工をする方法に表現が変わりました。

床下機器の配置に特徴が有ります。
中央の1400Lタンクはこの車輌以外は使用されていないタイプで700Lを縦に2本繋げた形です。

予定ではSPランクでの製作予定でしたが、個室の表現に思っている以上の時間と材料コストがかかってしまった為
Cランク製品のグレードでの製作・販売となります。

税込み価格=39600円

戦後の旧2等寝台車の設備

戦後の寝台車の設備は現在からするとかなり見劣りがしますが、
1等寝台車の基本寸法が寝台長1900ミリ・幅700ミリとなっていて枕木方向に寝台があります。
今回の主題の2等寝台車の主力はマロネ29でこれは下段は線路方向に寝台があり幅は700ミリですが前後は1800ミリと
(中心線上の寸法で実際はもう少し短い・当時の設計値は身長が160センチまででした)
当時の日本人の身長に合ったギリギリの寸法設定でした。
上段は舟形寝台でつり下げ式のこちらの幅は600ミリとなっています。
これに文句をつけたのが連合軍でとにかく何とかしろという要求の果てに出てきたのがマイネ40・41でこれはマイロネフ38と
同じ設備の物を製作せよという物でしたので寸法上でも1等車としてものを持っていました。
これは連合軍が製作費を出さなかったので戦後では初の1等寝台車として完成します。
本来マロネ40・41は連合軍としてはマロネ29の代わりに接収して使用するつもりでした。
(朝鮮戦争とその前の不安定要因が使用状況を変えたと言えます)

2等寝台車としては当座マロネ29を普通車改造したマハ29が輛数としてまとまって有ったので復旧させる車輛の内3輛を
マロネ39として4人個室客室幅が1800ミリ・寝台長1900ミリ・寝台幅650ミリとして完成させます。
当時の一等車と比較すると長さは同じで寝台幅が700→650ミリと寝台そのものはそれ程の遜色はありません。
違う部分は個別洗面台の有無と廊下側の窓が無い事・個室の寝台間隔が狭く膝同士が当たってしまう部分が不評でしたが
この2輛を銀河で運用するとマロネ29よりは良いという事で営業上は概ね好評だったみたいです。
マロネ39の本格増備として43系車体でスロネ30が登場します。
マロネ39と違う部分は窓の大きさに有り上下方向にも拡大されている為非常にスッキリとしています。
洗面台もマロネ39は客扉を閉鎖して設置しましたがスロネ30はこの部分も最初から片側だけのドアとなったので
以後の寝台車を製造する際の設備面でのプロトタイプとなりました。
製造当時はまだマロネ29が標準の2等寝台車で輛数的にはこれで充足数に達していたので製造が少なかったのです。
(マロネ29は0番代のダブルルーフ車の復帰は8輛のみで100番代丸屋根車は全車復帰しています)
スロネ30は輛数がほぼ同じマイネ41とペアを組んで急行 彗星・銀河に充当されます。
この後に昭和30年になってから1等車の廃止となりイネはロネとなった為同じ2等車では特にマロネ29は見劣りが
激しくなり20系寝台車の登場で決定的となりさらにオロネ10が大量増備されると予備車扱いとなりました。
スロネ30も彗星・銀河から出雲・つるぎ(宮原・京都)おいらせ(尾久)へ運用が代わり
殆どの車輛はマニ36・37へ改造されて形式消滅となりましたが、改造された一部の車輛はJRに継承されています。

スロネ30の編成についてはこちら


令和2年12月20日

御料車14号 (マイロネフ38 1)

御料車14号(現)直宮用(秩父宮・高松宮・三笠宮)として昭和13年にマイロネフ38として鷹取工場にて3輛製作されました。
戦後は連合軍に接収されて御料車10・11号と共にオクタゴニアン号として6輛で運用されました。
(第8軍司令官アイケルバーガー中将・ウォーカー中将用視察編成列車・8軍は東北方面に展開)
軍番号は1309で個別車輛名はハートフォードとなっています。
接収中の姿は当初はそのまま使用されていましたがウォーカー中将に司令官交代後直ぐに側面を含めて改造されて一部が異なっています。
(冷房化は接収後すぐに改造されて4位側のドアは閉鎖されて配電盤の取り付けを行っています)
昭和26年早期に接収解除となり、スイロネ37 1→御料車14号として再整備され現在に至っています。
再整備の時に冷房装置は撤去されています。(冷房としてはあまり効きが良くなかった)
模型は昭和30年前半の姿をブドウ1号の塗装での再現、工房創立20年記念作品としての追加加工を施しています。

内装パーツは開放寝台部以外は新しく作成しています。
区分室の出入りドアの窓ははめ込み窓になっています。
ボディの内側は屋根のクリーム色と1等車の標準内装であるブラウンニス塗りを塗り分け再現しています。

税込み価格=49500円

ジョーシンスーパーキッズランド本店には価格をかなり抑えた同車輛を納入しています。

税込み価格=26400円

スロ53近代化 ブドウ2号 緑帯

スロ53は特ロの増備車として昭和26年に30輛製作されました。
このスロ53で特別2等車のスタイルが確立されて座席間隔は以後に製作されている車輛は基本的にこの車輛の寸法を踏襲しています。
翌年に製作されたスロ54との違いは室内灯が蛍光灯になっていない事のみで実質には同じ車輛と言えます。
全車両を対象に昭和32年より近代化改装工事を受けて窓のアルミサッシ化と室内灯の蛍光灯化を受けてスロ54とほぼ同等となり
昭和36年秋からよりさらにスロフ53となっています。
但しこの車輌は冷房化の対象からは外れた為昭和40年前半から順次格下げ改造や荷物車にされて形式消滅します。
スロフ53の廃車は比較的遅く最後の車輛は昭和59年まで車籍が残っています。
模型はまだ定期急行列車の指定席車輛として活躍した時代での再現となっています。
今回の製作品は車番・表記が未貼付となっています。緑帯内の2等表記も省略させていただいております。

税込み価格=13200円

特別2等車(特ロ)と2等車(並ロ)の近代化改造工事とその後

特別2等車(特ロ)はスロ60〜スロ54までが旧形客車の系列で昭和24年からの登場ですが
並ロで有る丸屋根のスロ34〜オロ40と同じ時期に近代化改造工事をほぼ全車両を対象に行っています。
並ロはその前に更新工事を2回受けておりこの工事を行う時点で大体ですが廃車時期が決まっていました。
近代化改造は昭和32年からですがこの年はナロ10が出来た年でこれで特ロとしての増備は終了します。
工事は各工場で進められて3年程度かかって一応終了します。
終了と同時期にダブルルーフ車の廃車が始まっており以後の2等車増備はオハ61を改造してオロ61が生まれます。
関東以北では一部を除いてこのオロ61が2等車の標準となっていきます。
オロ61が増備されている間に並ロの丸屋根車は格下げ改造や荷物車となっていき、例外を除いては昭和43年10月までに
形式消滅となっています。それと同時に特ロの内スロ54とナロ10は冷房化の為の改造を受けています。
スロ54 500番代はこの時期にスロ52の代替として改造されています。
冷房化の対象から外れた車輛は昭和50年までに廃車もしくは荷物車に改造となっています。
近代化改造以降の特ロは主に長距離急行・準急の指定席を中心に運用されており
並ロはその次位の自由席として使われている事が多い様です。まだこの時期は中距離の普通列車には2等車運用が有ります。
この場合はスロハ等の合造車も含まれています。この時期は旧2等車の格下げ車としてオハ30の17メートル車も比較的見られています。



令和元年12月31日

マシ29101 青大将色

昭和7年製の元スシ37 60でリベット組立て車でこの系列では青大将色となった唯一の車輛です。
昭和28年4月の接収解除でスシ28・マシ29の最初の番号として整備されてスシ28101冷房無し食堂車として復活します。
この時の配置は品川区で後に尾久区転属ですがずっと東海道筋で使われています。青大将色になった昭和31年10月に宮原区に転属しています。
転属直前に冷房装置を装備・車体の塗り替えを施されてマシ29101となります。内装は工事期間が短かった為更新されなかった様です。
青大将色でオシ17 1〜4が入っていてもしばらくは予備編成車のままで度々運用の中に入っています。客車特急が終了まで使われた後に
向日町からさらに鹿児島に転属となって急行玄海・桜島に使われています。(ブドウ2号)昭和41年1月まで生き残っていました。
模型としての青大将色ですが、再販された青大将(今回品でスロ54が入っている)の塗色に合わせています。

この車輌は昭和31年秋になって再改装となった為か昇段ハシゴの上に付く屋根の手すりが変更されています。
(戦前製の屋根上手すりの取り付けは基本縦に平行となっています)

青大将色の編成解説

青大将色にスハ44系が塗り替えられて営業を開始したのは昭和31年11月19日で東海道線の全線電化(米原−京都間が最後)
でこの前の9月辺りから塗り替え工事を実施してつばめ・はとに充当されました。
この最初の段階で淡緑5号に塗り替えられたのは合計70輛です。(当初は5本+予備車)
この改正では 夜行特急 あさかぜ が運行開始となっています。
青大将色は昭和35年5月31日まで昼間客車特急の白眉として営業運転をしています。
昭和30年の7月より一等車廃止後もマイテ39・49・58 マイ38 マイフ97 は一等車廃止の特例対象外車輛となっています。
青大将色終了のその後しばらくの間一部の車輛は淡緑5号のまま使われていたりしています。
(団体専用車としてマイテ49はマロテ49で青大将色の青帯付き・マイ39もマロとして同じ)

昭和31年11月19日(青大将の初日) 東京発つばめ 
牽引機 EF58 89 記念ヘッドマーク掲示

編成定数10輛 増結スハ44 1輛(増4号車)

EF58 57 スハニ35 スハ44 スハ44 スハ44 スハ44 スロ54 スロ54 オシ17 スロ54 スロ54 マイテ39 1

オシ17の予備編成車としてマシ29 101がこの70輛の中に入っています。
(オシ17 1〜4はボディの新製から淡緑5号で出場してもう1本にマシ29101が入っているので計5本体制)

スロ54はナロ10が完成すると入れ替わっています。(昭和32年新製の1〜28)
スハ44は全てが淡緑5号の塗り替えを行っていません。竹下配置車はブドウ1号のままです。(かもめ運用車)
マシ35 11・12は31年からブドウ1号のままでオシ17の点検時に代用で入っており32年頃に塗り替えを行って
食堂車は7輛体制で運用されています。
展望車は当初マイテ39 1、21・49 2・58 1、2の5輛体制・マイ38 2輛でマイ38は増結運用で定期ではありません。
編成は当初は10輛でしたがナロ10が入ってから大体13〜14輛での運用となっています。
牽引機のEF58は初日の東京発の57号機と大阪発の89号機以外は未だ出来ておらず翌年の3月までに
塗り替えを行い東京機関区 11輛 宮原機関区 13輛の24輛体制で運用しています。

マシ29201 ブドウ1号

この車輌は昭和9年に製造された元スシ37 71です
連合軍に戦後直後に接収されて調理室部分を1ブロック長く改造工事をされて接収解除が昭和24年3月に早くも解除となり
改修工事の時に冷房装置の搭載を予定しておりマシ47 11(10番代)となりました。
(この時にマシ47 11〜16が冷房準備工事をしています。13・14・15が後のマシ49 1〜3、0番代と12・16は冷房なしでスシ48となります)
食堂部分も1ブロック後方に拡大しているので休憩室設備と車掌室が有りません。この車輌が番台区分された訳です。
こちらも品川区から向日町に転属となり急行玄海・桜島に充当されています。
昭和40年頃にブドウ2号から青15号に塗り直されて内装面も淡緑3号になり灯具も蛍光灯に再整備されています。
こちらは昭和43年10月廃車です。なお青15号塗装のマシ29は107・109・110・201の4輛でいずれも当時は向日町区の配置
107はすぐに廃車となりましたが、交通博物館で開館当時の食堂営業用となりました。内装は塗り潰しでなくニス塗りのままでした。
なおこの昭和9年製造の食堂車は日本で始めての溶接組み立て車体の試験車だそうです。

マシ29 101 と201の内装の違い

マシ29 101は通常の内装ですが、201は調理室が長く延長されているため後方の喫煙室の部分を食堂に変えて定員確保しています。
但し調理室廊下の食堂部分との間に有る扉の位置はそのままになっています。


マシ35 11〜12 青大将色

昭和26年スハ43系の食堂車として1〜3の3輛と電気設施備を持つ11・12の2輛が製作されています。
マシ35 1〜3 は石炭レンジ搭載 カシ36 11・12は当時珍しい電熱レンジを搭載
青大将になった車輛は電熱レンジを普通の石炭レンジに置き換えてマシとなった11・12の2輛が予備車となっています。
当初はブドウ1号のまま入っていましたが、塗り替えられています。
因みに1〜3はどうなったかと言うとさくら使用のスハ44と合体してはつかり編成の中に組み込まれています。
この作品のみ旧カトー製品(初代製品の最終ロット)の塗り替え加工品です。

貫通扉にはスリガラスを付けています。内装は塗装済みにしてあります。
塗色は上記マシ29101と同じで再販された青大将色になっており台車も新品のストックをはき直しています。

マイネ41 初期 ブドウ1号 白帯

前作のマイネ40に続き昭和30年当時の東海道線の夜の女王であった
20系の寝台列車が出来るまでの列車で特に 銀河・彗星・月光(13〜18列車)を再現する上で欠かせない車輛です。
20系の寝台客車が出来るまでは国鉄の最優等車輛でした。

昭和24年に12輛製作されており完全な切妻で43系と思いきや35系に属しています。(台枠構造が35系列のUF125でUF119の片扉版)
屋根はマイネ40が鋼板屋根の製作が思っていたより良くなかった為、普通の防水帆布貼りに戻されています。
(鋼板製の屋根は普通の木製屋根の防水布が不足していたために代用としてブリキ貼りと同じ工法で製作されています)
新製時から冷房付きで2種類のメーカー(三菱と東洋電機)が違った物を造って搭載しています。
今回の作品は9輛と多数派の三菱製クーラーでの模型化です。車軸から回転動力源を持ってくるのはマイネ40と同じですが
車軸からの回転を直角に曲げて歯車式の増速機を使って高い回転で発電機を廻して今までの物よりも大きい電力を
取ろうという趣旨だったみたいですが、全て歯車で廻す為その部分の振動と機械音がかなり大きく苦情が多かった為
昭和26年秋に歯車で伝達していた回転をプーリー式のベルトドライブに改造変換して騒音の問題が解決していますが、
ベルトのたわみから来る破断が多いという新しい別の問題で悩んでいた様です。(当時としては高回転域での振動も中々収まらない)
もう一方の東洋電機製のキャリアー最初からベルト伝達だったためそういった類いの苦情は
あまり出なかったと聞いています。但し少数派故のメンテナンス上の不利と発電機容量の不足がありこちらも同時期に改造されています。
この為かどうかはハッキリとは解りませんが長距離の運行はあまり無く東海道・山陽筋限定で運用されていました。
(九州向け急行のきりしまも途中京都での解結になっています)
台車は前回作のマイネ40と同じTR40Aで4枚バネを再現します。
(TR40Dの空気バネ台車は近代化改造工事の昭和37年以降の装備ですが一部元に戻った物も有ります)

床下機器の配置

横向きに装備された発電機とプーリー軸を表現したパーツと三菱製のクーラーは新規作成品でクーラーの左側横の送風ファンも再現しています。
台車のTR40Aの4枚バネパーツは前回と同じでは無く新しく作り直しました。
台車は旧製品のピン台車の新品ストックを大量に持っている為これにフィットする様にしています。バネ部分も少し短くして出っ張りを少なくしています。

客車黄金期の列車について良くわからないというお声を沢山頂いており、
少しずつですが資料を作成した上でこの様なコラム形式で少しずつですが
書いていこうと思います。出典先は各社時刻表や雑誌の記事からまとめた物になります。

マイネ40・41の誕生の経緯とその後の使用状況・列車編成
(出典先 各社時刻表の列車編成と車輛配置表・鉄道ファン等の雑誌から)
マイネ40は昭和23年・マイネ41は昭和24年に完成していますが、元々の経緯は連合軍専用車としての要求から始まります。
(接収していた1等車の主力は31・32系のダブルルーフ車で個室装備と区分室装備が少ないという理由)
個室装備の有る車輌は戦前でも極一部なので接収車輛を改造してオイ・オイネをある程度の輛数を揃えています。
この要求の中には後に特ロとなるスロ60・50も含まれています。接収した一等車や並ロでは狭すぎるという事からです。
但し予算と製作費用は紆余曲折の後に鉄道省持ちという事にされてしまい最終的には鉄道省の予算で造られています。
(各車輛メーカーには正式要求から数ヶ月以内に納車と言われており先行してある程度の輛数をすでに製作していた)
マイネ40・41の開放室寝台のプルマン式は当時の欧州・米国の標準がこの方式だったため要求の中に入っていた為実現となりました。
(当初の日本案は2等寝台として製作する予定で後のスロネ30に近い案を提出していました)
そして戦後始めての日本人用新製寝台車となりました。当時はまだ夜行特急は無いので急行への連結が主流で特急に連結されたのは
さちかぜ・あさかぜの夜行特急が出てきてからという事になります。最初は後の急行銀河で昭和24年9月に1・2等のみの編成

昭和24年9月 急行1・2レ(列車名はまだ無い・後に銀河・彗星となります)
←大阪 1レ                                          2レ  東京→
マニ マイネ40 マイネ40 オロ40 オロ40 オロ40 オロ40 オロフ32

この後に3等座席車を組み込んで14輛編成になります。

昭和28年3月 急行 銀河
←神戸(大阪より延伸)13レ                                                        14レ東京→
マニ マイネ40 マイネ41 スロネ30 スロネ30 スロ53 スロ53 オロ40 オロ40 スハ スハ スハ スハ スハ スハフ

急行 彗星
←大阪15レ                                                                  16レ東京→
マニ マイネ41 スロネ30 スロネ30 スロ53 スロ53 オロ40 オロ40 スハ スハ スハ スハ スハ スハ スハフ

この時点で基本的な列車編成になります。(月光は座席車編成)
この頃になると接収された車輛もかなり返還されていて戦前よりも列車数は多くなっています。

昭和31年11月19日に夜行特急 あさかぜ が出来て戦後始めての夜行特急となります。
(ナハネ10はこの年の3月から11月にかけて100輛を配置)

オハ二36 ナハネ10 ナハネ10 ナハネ10 ナハ10 ナハフ10 マシ35 スロ54 マロネ40 マロネフ29

マイネ41は基本的に東海道・山陽路での使用とほぼ限定されています。
マイネ40は輛数的にも余裕がありましたが、マイネ41は12輛と少ないのと冷房装置の問題で虎の子的運用になっています。
戦後型の2等寝台車スロネ30も当時は東海道・山陽路の運用が中心でした。



最新更新日 平成30年12月31日

平成30年12月作品

マイフ97 1

JNMAフェスティバルの製作品の初代作品がこのテーマでした。
当時はGMキットオハ35の改造+屋根もレジンパーツでの構成でしたが、
今回はイエロートレイン製キット使用してさらにを加工します。
台車はTR53を空気バネ化した台車TR57にしています。
実車はオハフ33 を改造した物で昭和26年にスヤ51 1として大井工場で改造されてすぐに
連合軍RTO巡察車として使われています。(竣工直後は台車は種車のTR23)返還後にスイ46 1に外国人用貸し切り車としています。(この時の台車はTR40A)
その後にマイフ97 1に改番され昭和30年頃にシャワールームを設置されています。模型はこの時の姿、
1等車廃止後もマロフ97として残りましたが、あまり使用されずに秋葉原〜上野間の貨物留置線に余剰車として放置後に
国分寺にある鉄道学園に移動して学園の解体工事と共に処分されました。
模型は昭和30〜32年のエカフェ展の頃でクーラーはKM−2に変えられた時の姿としています。

展望室上方の丸い屋根は公式図面には無く工場の独断で鉄板を叩き出して製作された物でこの車輌の特徴になっています
調理室のベンチレーターは諸説が有る様ですが手持ちの資料を総動員した結果この位置で有ると確信して取り付けをしています。
このベンチレーターは普通は吸排気両方の機能を持っているのですが、前後方向の吸気口は塞がれており石炭レンジの排風器として機能しています。
食堂車用の大型ベンチレーターは取り付け出来るスペースが無かったのでこの様になったと思われます。
妻面部分はかなり調べ直しが必要でした。屋根の手すり位置も数枚の写真を見て確定させています。
床下機器もシャワー室設置に伴って温水タンクを設置してKM−4のブラインタンクを撤去した後に設置されています。
この時に余剰になっていたKM−2のクーラーユニットを載せ替えている模様です。

内装付きの床板画像

展望室の応接セットは平成13年の時に使った物をそのまま使用しています。
その他の内装品は新しく製作した物です。

税抜き価格=48,000円

参考画像

平成13年のJNMAフェスティバルの製作品として製作したマイフ97

見本製作車として スヤ51 1(登場時)も製作致します。

連合軍巡察車

終戦時の鉄道はまだ鉄道省が運営しており列車管理もしていましたが、昭和21年に連合軍鉄道輸送司令部
が出来てその指揮下に鉄道省が置かれます。(国鉄が出来るのは昭和26年)この時から連合軍専用列車が正式に運行されて
この時に東京から札幌までがオクタニゴニアン号・博多行きがヤンキーリミテット号と接収された1・2等と
軍用の病客車の改造で生まれた多数の個性的客車が次々と誕生して個別に名前が付けられて運行されます。
(御料車10・11・12・14号・マイロネフ38も接収されてオクタニゴコアン等に連結されている)
これらとは別に各地区の軍司令官用としての客車を出す様に要求が有り昭和25年からスロハ32・スハ32(スミ31・32)
を改造して誕生したのが連合軍巡察車です。
基本的に車番はスヤ51 を当てられています。
スヤ511は東京近郊廻りに使用という事で(マッカーサー用)特別に整備されて内装も1等車準用の仕上げで
この頃には塗り潰し塗装が始まっていましたが、アメリカ軍に接収備蓄されていたチーク材を使ってブラウンニスの仕上げになっています。
椅子等の布団生地の一部は各工場の隠匿物資を使ったと言われています。(展望室の布団生地はアメリカより)
10番代のスヤ51は各地方の軍司令官用で内装は2等車準用で種車もスロハ32が多く使われています。
スヤ51の特徴はこの1輛を最後尾に連結してどのように行動してもこの1輛で完結するという目的が有り調理室が造られているのは
その為です。展望室部分には通常は食堂用のダイニングセットが置かれています。(椅子はスシ28等の食堂車からの物)
改造用の材料については相当に苦労しており石炭レンジはマハ49等の改造で下ろされていた物を再用したりしています。

巡察車は用途終了後に返還されてスロハ32は原状復旧されましたが、旧スミ31・32は元が軍用客車で有り
原状に復せずに事業用車として色々な用途で使用された後
試験用車輌や車両限界測定車(おいらん車・スヤ31 21)としてかなり後まで残った車輌も有ります。

マイネ40

マイネ40は戦後初の新造の一等寝台車で21輛製作されました。(35形の半切妻車)
新造当初は前後共客扉が有り区分室は4室有りましたが昭和30年までに前位の扉を閉鎖して倉庫とし、区分室の1室を給仕室として
改造されてこの姿のまま昭和45年まで活躍していました。模型は片扉の時代で客扉は木製の35系本来の扉が付いていた時期
昭和30年頃のブドウ1号白帯時代の一番輝きが有った時の再現をします。台車はTR40A・クーラーはまだKM−4のままになっています。
昭和32年に内装を中心に更新工事を受けていますがこれはその前の姿です。
(この頃にクーラーが変更されてKM−7になっています)

内装付きの床板画像

マイネ40・41は旧1等車と同等の仕上げの重厚な内装となっていてこれは近代化改造の昭和39年まで変わりませんでした。
昭和32年の近代化工事は内装の寝台兼椅子を20系のナロネと同等にする為の工事で模型には表現されていませんが
開放室部分の仕切り板が固定されているのを半分だけ収納出来る様にして寝台撤去の時に明るさと見通しを良くするのが主目的です。

税抜き価格=45,000円

参考画像

近代化改造を受けた後はニス塗りから薄緑3号への塗り潰し塗装となっています。

マイネ40の極初期タイプ(両扉で個室が4室・昭和24〜26年頃)は後日製作予定です。

今回のマイネ40の製作は昭和30年の一等車廃止直前の急行 銀河(東京→神戸 13・14列車)
を再現する予定の第1弾製作車です。
この後にマイネ41 原型・スロネ30 初期 も製作していきます。

スロハ3

スロハは2・3等の合造車でマイナーな車輌と思えるのですが、戦後の長距離〜中距離の普通列車には大体ですが連結されていた車輌で
(当時普通列車に2等車の連結は普遍的で主幹線にスロハ31・32、亜幹線にはオロ30・31が連結されています)
同時期のオロ34よりも輛数は多く閑散区でもよく見かけられた車輌です。昭和30年代中頃まで活躍していました。
スロハの多くは連合軍接収車となり改造車は多岐にのぼります。(種車として多く使われているが、殆どの車輌は元に戻されている)
今回はブドウ1号 浅黄色の青帯で一番ポピュラーな姿を製作します。

床板と台車はカトー製品を使っています。内装を付加しています。
旧製品では無く新しく造られた現売品の35系用を使っていますが初期ロットの為、台車のカプラーがアーノルトのままで出しています。

税抜き価格=24,000円


最新更新日 平成29年12月20日

今年の製作品の特徴
今回の製作は前回より続きですがマロネ41 21番代は各車両毎に微妙に違いが有るのと
前回は最終形態の帯なしでしたが今回は緑帯が付き妻面の手すりも付いています。
戦前の二等車はオロ36・オロフ33の1300ミリ窓の優雅なスタイルを再現
ブドウ2号緑帯の最後の姿の表現です。

マロネ41 23・24 青15号 緑帯時代

マロネ41 21・22の後に高砂工場で改造された車輌で下記の25・26の改造時期とほぼ重なっておりこの車輌も雨樋が
妻板に移動されており、角管で作られています。この車輌も21・22より内装意匠が多少変更されています。(竣工は最も遅い)
昭和47年まで現役での活躍後に吹田でマヤ43 1・2として残り昭和62年まで訓練車として使われており
(私自身は梅小路の側線でよく見かけた記憶があります)
さらに鉄道博物館で保存予定の為大宮工場まで運ばれましたが最終選考で漏れて解体されました。(現存車輌はこれで消滅)
この車輌には妻板の昇段ハシゴと誘導員手すりが付けられており、21・22との大きな違いがあります。
また23・24は側面の誘導員手すりが残っています。(従って誘導員手すりが2ヶ所付いている・側板の物は製造時より有る)
今回は改造後の青15号 緑帯時代で再現しています。

41−23

41−24

洗面室廻りはアルミサッシ窓になってはいますが、二重窓構造はそのままになっていて内側窓も同じくアルミサッシ窓になっています。
旧キングス製はこの部分がスリガラスの上部が透明の折れ曲がりの1枚固定窓になっていますが内側の窓が半窓状態になっている
半窓状態の写真が多数有りこれを見間違えた物と思われます。
なお内側の窓ガラスはスリガラスになっているので模型表現は1枚のスリガラスにしています。


マロネ41 25・26 青15号 緑帯時代

マロネ41 21番代の内で大船工場で改造された車輌で内装部分に意匠差が見られます。
外観も雨樋の位置が側面から妻面に移動しましたが、角管を曲げて作られており、近代化された他の客車が丸管に代わったのに対して
元一等車という事でしょうか手間を懸けて施工されています。
25・26は側面の誘導員手スリが無くなり妻板側に昇段用手すりが付けられて、手スリの一部が誘導員手すりとして使われています。
なお23・24とは違う床下配置で作り分けをしています。所属はこの車輌25・26のみ品川配置になっています。
21番代は東海道筋での使用で主に急行 彗星・銀河の中核車輌です。

41−25

25は寝台の表記の場所が少し違っていたみたいです。(21番代以外の表記方法で41−5と同じ)
スリガラスも施工の違いで半透明の具合が白っぽく見える物を使っていた模様で25ではそれを再現しています。

41−26

26は一時期TR40Aに台車が戻っていた時期もあるみたいですが台車はそのまま40Dの空気バネとしています。
この車輌のみは乳白色の半透明窓が付けられていた模様なので模型でもその様にしてあり1輛毎の僅かな違いを出しています。

23〜26の手すりの取り付け表現

21番代では始めに改造された21・22は付いておらず、23〜26には付けられており、固定窓化されなかった他の5輛も付いているものと無い物が有ります。
屋根上にも鉄板補強板の上に手すりが付いていました。

今回の23〜26は各1輛のみの製作でジョーシンスーパーキッズランド本店にのみで販売しています。
(もう1輛ずつは別枠オーダー品としました)


オロ36・オロフ3 ブドウ2号 緑帯時代


昭和12年に5輛・13年に残りが製造されて戦前は主に特急用として使われていましたが、
戦災で2輛が廃車、連合軍の接収で半分以上持って行かれて解除で戻ってきたのが昭和28年頃と遅かった為
戦後は急行用として関東方面と東北方面で主に使われています。
(関西以降は数輛のみでオロフ33も5のみ天リウ配置で急行 大和に使用)
昭和38〜40年にオハネ17とオハ41に改造されて形式消滅、(41−3ダイヤ改正までに並ロは営業終了)
さらにオハ41からマニ36へと再改造された車輌も有ります。
ご存じの通り1300ミリ窓のゆったりした配置で足下が当時として一番広かった車輌で特ロが出来るまでの2等の最優等車でした。
オロフ33は昭和12年に5輛のみ製造された希少車で役割としてはスロ60−100番代と同じ役割を持っていました。
模型はブドウ2号 緑帯 の昭和32〜38年の末期時代で、急行・準急や普通列車に連結されていたときの物になります。

オロ36

オロフ33

オロ36の暖急車版で戦前の特急 鴎 に使用されていました。最後は大ミハ所属でしたが昭和42年に廃車となりました。
緑帯の無い部分は車掌室と給仕室になっており帯が有りませんでした。

オロフ33の車端部

テールライト位置が同じ35形のオハフよりも高い位置にあります。
また昇段ハシゴの屋根上手すりも昭和13・14年車に見られた片方が少しずれて設置されている特徴が見られます。
この手すりは廃車になるまでそのままだったみたいです。


戦前製二等車の戦後史

戦前製の鋼製二等車(並ロ)はダブルルーフのオロ30〜オロ36・スロハ30〜32まで比較的遅い時期まで使用されています。
戦後直後でも普通列車でも二等車の連結は有り需要の少ない地域でもスロハの合造車が多数使用されています。
従って輛数的にはスロハの方が多くなっています。
並ロは戦後になっても少数が製作されています。(オロ41・42)
一方の木金混合の半鋼製車グループは綱体化改造の61形の種車として急速に姿が見えなくなりますが
大体は昭和24〜25年頃まではローカル線用として使っていたと思われます。
(比較的遅い時期まで救援車代用としては残っています)
特急列車が復活した時はまだスロ60は輛数が揃っていないのでしばらくは戦前製の二等車連結でした。
特急 つばめ の誕生で特急用として役目は終わり長距離〜短距離急行がオロ35〜40が主力、普通列車が
オロ30・スロハ31〜32の連結が多かったと思います。昭和30年初期?の京都駅では山陰線の普通列車にオロ30が
旧青帯のまま使われている写真を見ることが出来ます。(更新されていない様子)
オロ30・31は昭和35年までに全廃となり、この辺りからスロ34〜オロ40は格下げ車となった物も出始めます。
(オハ31形列と32形ダブルルーフ車はこの辺りで全廃となっています)
これはスロ51〜53の近代化改造を行った上で冷房化対象車以外は基本昭和43年10月の改正までに全廃の方針が
決まっていた為と普通列車の二等車連結が廃止になった為余剰車が出始めた時期にも当たります。
(この頃は電化と無煙化が同時に進行していて国鉄時代の新性能車が次々と出ていた時期)
戦前製の二等車は格下げされても出入り台が前後に有る為比較的格下げし易かったのでオハ41や55になっても
比較的遅くまで車体そのものは見る事ができました。戦後製のスロ53よりは車歴としては永い物が多く
戦争に実質突入する前に作られた車輌はかなり丁寧に作られていた事も寿命が長かった一因では無いかと思います。

最新更新日 平成28年12月1日

今回の製作品の特徴
今回の製作で一番の変化は青15号を客車用として新しく製作し直した所に有ります。
色調はカトー製スロ62にほぼ近い色調として10系〜35系まで幅広く使える様にしました。
前回作の青15号は大鉄局と福知山局だけが使っていた彩度の高い青15号ですが
これはあまり一般的では無いので今回は標準色として製作しています。

マロネ40 近代化改造 青15号

戦後初の一等寝台車で有るマイネ40を昭和37年頃に蛍光灯取り付け等を主とする近代化改造工事をして40年頃から青15号に塗装変更になった時の再現です。
昭和32年にも近代化改造工事をしていますが、これは内装を主にした物でこの時はまだブドウ1・2号の時代です。
この車輛は最後に廃車されたのは昭和45年末という息の長いもので主に東海道筋で使われました。
営業用から引退した車輛は工事用宿泊車や試験車輛としての余生を送っています。

両妻面の貫通路には扉が有りませんでした。近代化改造工事に木製扉から軽量アルミ製に扉が変更されていて
連結面ではこれがかなり目立つ為表現対象としました。内装色は薄緑の塗り潰し表現となっています。

冷房装置は最後までKM−7を使っておりかなり安定した動作をしていた様で最後まで換装はされませんでした。
(冬期期間は取り外して整備されてから夏期に稼働させる方法は同じです)
車軸から動力軸で動かすやり方は同じですが、歯車に拠る増速を経て発電機と凝縮器と圧縮機等に伝達されて最後は
同軸に有る送風機で屋根にある空気調和器まで送られる効率の良い物でKM−2・3からの改造も多かったので
戦前からの冷房器システムとしては完成された物になっています。

マロネ40 解説
連合軍(CTS)の要求でマイロネフ38と同じ様な設備を持つ車輌を20輛新造せよという命令が出て
当時は新車の製造は禁止されていたが特例で製造許可が出た(禁止は昭和24年まで)
スロ60も同じ特例だが旧台枠からの改造という名目で作った為新造車でも番号のみ改造の60番代符号
スロ60は接収車輛のオロ35・40では狭すぎるという事でリクライニングシート付きの車輛を要求されたため
本来は両車輛ともCTS使用車としての使用予定だったが朝鮮の雲行きが怪しくなったので中止となった。
製造許可が出る以前に設計と発注は終わっていて製作許可が出た段階では製造中になっています。

設計・製造に取りかかったが途中で中止が発令されたりまた再開等が繰り返されて最終的には
連合軍側が費用負担を行わないという事になった為日本人向けとして戦後に初めて新製された一等寝台車となりました。

昭和22年時点で朝鮮は政情不安定で米第6軍(広島)は朝鮮への移駐になって車輛自体の需要が減った現実があります
その後の昭和24年から接収車輛の返還が始まり、連合軍専用列車の運用も無くなっていきます。
但し一部の車輛は接収されたままで一般急行の中に組み込まれてかなり後年まで使われています。
この例としては列車番号1000番代の急行がそれで早鞆は先頭3〜4輛が連合軍専用指定でした。

昭和23年製作輛数は全部で21輛で35系の半折り妻車で屋根のみを車輌限界一杯まで深くしたので印象として35系とは思えない。
また材料不足で屋根が鋼板屋根だが薄い材料と工作不慣れの為、当初はかなりデコボコになっている。

(当時の鋼板屋根は全てを鋼板仕上げでは無く当時は木製の通常の屋根板の上に防水キャンバスの代用で薄い鋼板を貼った物)
キャンバス自体が当時は入手困難品で民生用の物を使っての現用車輌の保守で手一杯の状況です。

原型は前後に扉が有り定員も24名でしたが、運用すると給仕室が無かったりと不具合が出た為前方の客扉を埋めて
個室の1区画を潰して給仕室と喫煙室に改造してやっと基本形が出来上がります。
冷房は最初から取り付けでKM4を搭載しています。ある程度の時間を経てKM7へ交換しています。
20系の夜行専用の寝台車編成が出来るまでは国鉄の優等車の主力でした。
20系がある程度揃ってきた所で見劣りがする為、近代化改造を受けて最後の車輌が引退したのは昭和45年と長い車歴をもっている。

税込み価格=47,520円


マロネ41 21・22 近代化改造 青15号

こちらも戦後の一等寝台車のマイネ41で昭和39年に大船と幡生で二重窓部分を複層固定窓に変更された21番代区分の6輛の内の2タイプです。
21は妻面に雨樋があるタイプで22は車体側面に雨樋が有り21はイレギュラー的な形態です。側面の誘導員手すりの付け方も異なります。
固定窓化されてから青15号に塗り替えとなりました。(青15号になってからは当初緑帯が有りましたが後に消されています・A寝台の表記に変更)
21と22は連番で連結されて使用されていた様で配置・最終の廃車日付も同一です。
なお小倉工場受け持ちの車輛は固定窓にならず二重窓のままで最後まで使用されています。

マロネ41 21

Hゴム固定窓のディティールと車体側板に雨樋縦管が無く妻面に雨樋が付いている21の特徴とTR40D空気バネ台車の拡大画像

マロネ41 22

床下機器の配置
マロネ41は近代化改造時に冷房器をCU−1+ディーゼル発電機式に変更されています。
後位側には車軸発電機が2基搭載されています。

マロネ41 22の特徴
誘導員手すりの付け方が縦付けになり雨樋縦管が側板に付いている。

税込み価格=47,520円

マロネ41 解

この車輌も連合軍(CTS)の要求で作られた車輌ですが当初は2等車として計画されていましたが最終的にマロネ40の開放室版
という形になりマイネ41として昭和24年に12輛完成しました。
同じ35系ですが切妻車になっていて43系車に誤解されそうですが台枠形状がマロネ40の方扉版なので系列としては35系に入ります。
(35系の最後にオハ42という切妻車が有ります・また43系から35系へ形式変更になったりして多少のややこしさは有ります)

こちらの冷房装置は2種類有り東洋電機の物はKM式に改良を加えた形状なのに対して、三菱電機の物が後のAU21の構造から
空気調和器を除いた形状になっています。どちらも発電機で動かしているという点では共通で
三菱電機の物は初期の段階に置いては初期故障の続発で改造をされて安定するようになりました。(形式はCAC11形)
こちらも戦後の夜行列車の主力として昭和37年頃から内装を中心とした近代化改造工事を受けています。
発電機はこの時にディーゼル発電機に変わっています。冷房装置もCU1に置き換わっています。
(近代化改造工事は全車両に施工後もしばらくは茶色のままで緑帯付き)

さらにその内の6輛が2重窓構造から複層ガラスの固定窓になって青15号に塗り替えられて最後のご奉公をしています。
(最初から青15号になったのはこの6輛のみで最初は緑帯付き、後半は消される・寝台表記だけが残る)
それ以外の車輌は工事用の宿泊車になったり試験車輌として使われたりでかなり後にまで残っています。
旧型の客車で青15号に塗り替えられた車輌は基本的に近代化改造工事を昭和43年までに受けた物ですが
この工事をしていてもブドウ2号の塗色のままの車輌は少なからず有ります。
2等車(緑帯車)はこの典型例が多くスロ53・スロ60・オロ40・オロ35等がこれに当たります。
スハ44とスハフ43−11〜の一部はブドウ2号のままで団体用として当初使用された後(信州観光号)
名古屋局では急行みずほの末尾に使われたりしており窓枠も茶色に塗られた物が有ります。
(昭和50年代になると窓枠の外側はアルミ製で窓枠はFRP製の軽量窓になっています)
複層化ガラスを装備した車輌として有名なものは他にマシ35とオロハネ10のロネ部分が有ります。


スハフ43−11〜近代化改造 青15号

これは以前に作成したアイテムですが、昭和40年頃の夜行急行を再現するにあたりどうしても必要な形式なので、
カトーの新しいスハ44を使ってもう一度製作しました。改造要項は前回とほぼ同様ですがテールライトの点灯加工をしています。
塗装方式は窓枠を1枚ずつ手塗りする事を辞めてブラシで塗装した物に窓柱を部分塗装するという方式に変更しています。
前回作では見送りとなっていたテールライト点灯回路と車掌室と仕切り扉の表現を行っています。(貫通扉の装備は無かったので)

後位の妻板は手すり加工をしています。

テールライトは点灯加工をしてライトケースは貫通扉の無いタイプなので客室仕切り板を表現しました。

税込み価格=25,920円

スハフ43−11〜近代化改造 ブドウ2号

こちらは改造直後のブドウ2号塗装時代で昭和35年から昭和40年頃までこの塗装で連結されています。
当初名古屋局で使用された急行みずほに連結されていた後に向日町と品川区に多くが再配置されて高松区にも2輛有りました。
当初配置は竹下・鳥栖・宮原・名古屋・品川で11〜24の14輛が改造されています。

税込み価格=25,920円

ブドウ2号塗装車は当工房のみに在庫しています。


スハ44近代化改造 青15号

こちらはカトーの旧製品(つばめ・マイテ49−2が入っていた最後の製品)を使用した物で塗装は上記スハフ43と同一手法 で製作しています。

スハ44近代化改造 ブドウ2号

税込み価格=12,960円

ブドウ2号塗装車は当工房のみに在庫しています。


スロ60近代化改造 ブドウ2号

この車輛も上記の旧製品利用で最後に残っていた車輛を使っています。
スロ60は近代化改造はしたものの冷房化対象にならず昭和45年頃までに全て廃車・改造されて消滅していますが
地方の並ロ(オロ35・36・40)の置き換え車として各地で見られています。
マロネロ38製作の時に急行日本海時代の連結相手としてスロ60が入っています。(スロ60かスロ51のどちらかが入っている)


税込み価格=12,960円

客車クーラーの歴史と形式

KMクーラー(1〜7)
戦前に川崎造船が製作した物と荏原式の2種類が有ります。アメリカの物を参考にして完成させた様です。
当初に付けられたのは展望車ですが食堂車マシ38にも取り付けられていました。(夏期期間中のみ)
これがKM−1と呼ばれています。(結果川崎製が標準になっています)
戦後連合軍が取り付ける様に要求して戦後に車軸を長くして台車振動を減らして改良したものが製作されて
これがKM−2と呼ばれる物になります。KM−3は発電機能と圧縮機の能力を上げた改良型で
凝縮器の裏面と発電機の励磁機が違うので見分けはそこで行われますが、もう一つは塩水で蓄熱させて
長時間の停車で冷風を維持するようにもなっています。但し30分以上は無理だった様です。
KM−4はこの蓄熱機能を別の薬品に変えてタンク(ブレインタンク)を大型化した物で基本は同じです。
KM−4は取り扱いの難があり、あまり製作数が多くありません。
(ブラインタンクは薬品の貯蔵だけで無く薬品の冷却機能も有るので約1tの重さが有る・
マイネ40のみ標準装備で近代化改造時にKM−7へ改造される)

KM−5は試作で実用化まではされず6は少数に搭載、7と8は2〜3の改良品で一見では判別が難しくなっています。
(車軸動力の取り出しがベルト直接駆動式から増速歯車式に変更されています。圧縮機と発電機が高速回転型になり能力がアップ)
圧縮機はDMH17エンジンに付いているC−600系を搭載しています。それ以前はC−400系
このクーラーは5月〜10月まで搭載され冬季は全部のパーツを取り外して補修するという事になっていました。
KM2〜3は内部パーツにも有る程度の互換性が有り圧縮機のみ増強されたりとかの混同型も多少見られます。
電圧は電池への供給も同じ経路でされた為24V駆動と低圧作動となっています。
(凝縮器のみが電気作動で送風と空気圧縮は車軸からの回転で取っています)

CAC11形クーラー
良く似た形式としてマイネ41に搭載された東洋キャリアーが製作した物は凝縮器はKM式とほぼ同じで外観も
ハッキリとした違いが少なく発電機からの電気で電動機を回転させて停車時でも運転出来る利点は有りますが
こちらも30分以上の停車では温度維持に難が有ったようです。(3l輛のみの取り付け)
マイネ41はもう一つ三菱製のCAC11形クーラーが有り20系のAU21形から空気調和機を抜いた物に近くどちらかと言えば
こちらの方が原型という事が出来ると思います。こちらも車軸から発電する方法ですが
東洋キャリアーは最初からベルト駆動+歯車増速で三菱が最初歯車増速直接駆動からベルト+歯車増速に改造されて安定しました。
近代化改造で車軸からディーゼル発電機へ電気の供給方法が変更されて
クーラーはCU−1となり(これはAU−31の空気調和器が無いタイプ)
CAC11形クーラーはマイネ41のみ搭載されていました。所謂冷房器過渡期時代の産物です。
CAE81クーラー
オシ17のみに採用された形式でディーゼル発電機と空調機を一体のフレームに固定してユニット化を計った物
あまりにも重量が大きいので標準形式とはならなかったのですが、空調器としては集中式クーラーの先駆となっています。
AU21・31クーラー
20系寝台車に搭載された集中型のクーラーで電源が個別では無くなった初めての形式で以後の標準機として
31クーラーは21に個別電源で対応出来る様に変更した形式で基本は同じです。(使用電圧は違います)
この時に電源車電圧が440Vに統一されてしまい混結が出来ないという事になりました。
AU31クーラーの試験装備をしたのがマロ55(スロ54から改造)で
こちらも重量オーバーと改造手間の多さから正式採用とならず、
すでに屋根装備個別搭載のAU−12が出来ていたので鋼板屋根に付け替えて冷房化を達成しています。
ディーゼル発電機もこの時代の産物で最初3PKでも十分でしたが後に4VKへ容量アップをしています。
AU−12・13クーラー
大元は151系こだまに開発されたのが最初で大キノコクーラーは空気取り入れも兼ねた空調器として登場
この空気取り入れを省略して圧縮機を小型の物に変更したのが六角形のAU−12クーラーで
一部の部品を民生品パーツ使用に拠ってコスト圧縮を図っています。
AU−13クーラーは12の増強型と考えて良いと思います。但し重量はかなり重くなり一部の車輛は補強が必要になりました。
またディーゼル発電機も12・14系では大型化しなければ対応出来ない様になっていきます。
AU−14クーラー
10系寝台車の冷房化の為に作られた形式で扇風機の搭載した部分に出来るだけ同じくらいの寸法で
取り付けられる事が出来るかという事で開発して少しだけ扇風機よりも室内に出る寸法が出る程度で
作られてオロハネ10の最初のA寝台に付けられた冷房器はこれを2台連結して送風機を付加したタイプで基本はこの系列です。

最新更新日 平成27年12月1日

マシ29−100番代 青15号塗装

昭和42年に近代化改装として天井灯具を蛍光灯に換え内装を薄緑の塗り潰しにした109・110号がこれに核当します。
この車輌以外には201号がありますが今回は109号として製作しています。
今回の製作に当たりKMクーラーを新規製作しました。(今回はKM−3で当時の歯車式の7では無い)

KMクーラーの駆動部分も再現しています。 

内装色は薄緑になっています。

本体価格=40000円


スハフ43 1〜3 かもめ時代

特急かもめが出来た当初の編成を考慮して製作したため初期の原型状になっています。
こちらも前作マシ49とスロ54に44系で初期編成が出来ます。無論牽引機はC59で姫路二区の機関車にしたいところ
テールライトは点灯いたします。

かもめ時代は約2年あまりで次は臨時特急さくらに使われます。(形態はほぼ同じで所属も門タケのまま)

本体価格=40000円


マロネロ38 急行日本海

宮原区所属の3輛の内15と17を製品化したもので今回は材料の関係から1輛だけの製作です。
もう1輛は製作エラーが出て製品とはならずです。
元北海道からの転属車で、特急化されるまで大体がこの車輌を使用していました。
スハシ38とこのマロネロ38とオロ35(スロ43)が急行時代に入っていてこれに座席車と荷物車を併結すれば緑帯当時の編成を再現出来ます。

内装は半室が寝台で座席は並ロの固定標準タイプでシナベニヤ透明ニス塗りの伝統時な塗装

本体価格=45000円


手持ちで編成を組んでみました。牽引はEF58辺りで荷物車の後に特ロ・並ロ・マロネロ・スハシ・スハの順です。


スハネ30・スハネフ30

ナハネ10・11の不足分を穴埋めする形で戦前の3等寝台車で有ったスハ34を再改造・近代化改装をして10系に対してあまり見劣りが無いようにして
110輛という結構な輛数を誇りナハネ10系が冷房化改造されている間に東海道・山陽線で主力として使われていました。
その後は各地に分散配置となって夜行急行に昭和48年頃まで見かけることが出来ました。
スハネフ30はスハネ30からの暖急車改造で2輛のみの改造です。スハネフはナハネフ等が不足していたのでかなり遅くなってからの改造です。

貫通扉はダヴァサ製を使用・ベンチレーターは半ガラベンのみがGMの物です。


スハネ30とスハネフ30は製品的にテールライト有無のみです。
スハネフ30のテールライトは点灯しません。

スハネ30 本体価格=28000円 スハネフ30 本体価格=30000円


マロネフ29−100番代 緑帯時代

前回にもう1輛だけ余分に車体製作していた物(試作品)を製品化したものです。
基本部分は変わりません。前作がすぐに完売となってしまったのでマロネロ38の製作が少ない分こちらに振り向けました。
ぶどう2号・緑帯塗装

本体価格=45000円

マシ49 1〜3 再制作改良品

マシ29−100番代と床板製作をほぼ共通として内部塗装をえび茶色にした改良品で4年ぶりの再出力です。
この4年間で進化したものを全部投入してグレードアップを図っています。


マシ49の床板は一番奥に写っている物でマシ29−100とほぼ同じでえび茶色の内装色です。

本体価格=40000円


最新更新日 平成26年11月30日

スロ43 (オロ35の近代化改造車)緑帯時代

タヴァサ製キットにカトー製の下廻りを組み合わせた物です。台車は今回TR23E(コロ軸改造)になっています。
戦前はこの車輌が2等車の標準車輌として使用されていて両数もかなりの数になっています。
これを近代化して、アルミサッシを入れて出入り口扉は木製→鋼板プレスドア、内装は塗りつぶして明るくなっています。
一部の車輌は転換座席や2等車用ボックスシートにした物もありますがごく一部にしか付いていません。
改番されずに改造を受けた車輌も有ります。また台車をマロ55と交換した車輌も存在します。
模型的にはごく一般的な内容構成で、内装付きとなっています。アルミサッシ表現とぶどう2号塗装・緑帯時代の再現です。

内装付きなので仕切り板は扉を付けてえび茶色の塗り潰し表現をしています。
近代化改装で座席も取り替えが行われており、資料に拠るとスロ42(オロ40のジュラルミン車の更新車体)
とほぼ同じ物が付けられて、床板のリノリウムも灰色の物に塗り替えが行われています。

近代化改造に近い改造更新を受けて、改番しなかった車輌でオロ35 51が有ります。(後スロ43 2051)
大きく違う点は座席が向かい合わせのボックスシート(オロ40とほぼ同じ)に変えられていました。

価格=25920円


マロネ29−100番代 緑帯時代

こちらもタヴァサ製キットですが、床板をプラ板自作とてまた新しくこの車両用にボルスターを新規製作しています。
20形固定寝台車が出るまではこの車輌が2等寝台車の主力として使われています。
(それ以外は新製43形スロネ30でオロネ10は20形の出現後)
20形出現後は序々に急行・臨時・団体用として使用されています。廃車は遅く昭和30年代後半からにになっています。
ブルートレインが出る一つ前の時代の寝台列車を表現するために欠かせない車輌です。
このマロネ29からの改造からマロネ38・39が出来ています。

内装一体になった床板です。
喫煙席と給仕室がある方が前位で逆向きに撮影しています。
表現色は旧2等車の標準で有るシナベニヤ+クリアーニス塗りの表現で内装部分はデッキ部を除いてこの状態を保っていました。
昭和30年代後半の車輌ではデッキ部のみえび茶色の塗り潰し塗装がなされているみたいです。

価格=32400円


マロネフ29−110番代
(111・112 特定番製作)

こちらもタヴァサ製キットですが、床板をプラ板自作とてまた新しくこの車両用にボルスターを新規製作しています。(上記作品と同じ)
マロネフ29は暖急車としては3両しか無かったため、(戦災で1輌焼失・戦後は2輌体制)集中運用されていた時はそれほどの不足は感じなかったものの、
主力配置から臨時列車主体になると今まで普通に連結していた相手(マロネ40・41やスロ50〜54の特ロ等)の暖急・車掌設備を持っている
との運用が少なくなってマロネ29−100番代から2両のみ改造された珍車に入る車輌です。
改造昭和38年に行われて寝台設備の1ブロックを車掌室と喫煙室(2人)で手ブレーキはデッキの妻板部分に応急的に付けられていて
この部分が張り出しているのが特徴です。111と112は少しだけ違いがありますので特定番製作となっています。
改造車輌には良く有る事ですが、方向転換されているので床下機器が通常と異なっています。

29−111

車体上の違いは後部の客扉が10系客車と同じ中桟付きの物になっています。
後部の貫通扉は最後まで付きませんでした。

29−112

こちらは後部客扉が中桟の無い1枚ガラスタイプで昇降可能のもの
基本的な部分は共通で高砂工場で改造されています。

価格=48600円

スロ43・マロネ29・マロネフ29−110番代 製作中の画像

マロネ29−100の床板(内装一体製作)と座席塗装の状態(マロネ・スロ43同時着色)
GM青20号を少し粗い目に吹いてややつや消し感を出しています。

マロネフ29内部塗装と外回りのぶどう2号塗装

スロ43−2000の内部塗装
えび茶の塗り潰し塗装を表現しています。

マロネ29とマロネフ29について

マロネ・マロネフ29はダブルルーフが0番代シングルルーフが100番代
0番代車は32系初期のグループになり下廻りの台枠構造が異なっています。
この番代は戦争中に普通車改造されてマハ29等に代わり戦後に復帰する車輌は僅かです。
一部は連合軍に接収されて色々な車輌として使われています。
戦後も寝台車として使われていた車輌は主に接収されたグループです。
ダブルルーフの0番代は昭和30年代には急行運用から外れて廃車もしくは改造用の種車となって消滅していきます。
(このあたりは20メートル級の荷物車となっている場合がかなり多い様です→2軸化されています)
100番代はシングルルーフになったのが大きな変更点ですが、台枠構造も変更されて強化されています。
こちらも戦争中にマハ47として改造されますが、大部分は戦後に復帰工事を受けており、さらに
マロネ38・39(寝台が枕木方向になり4人の個室化、マロネ38は事実上の1・2等合造車)になっています。
寝台券区分は2等級制後は2等Cの料金区分となっていました。
(2等Aが個室寝台で旧1等個室・2等Bがマロネ41等の新型車と旧1等車・旧2等車がCに区分される)
20形寝台車出現後は一線級から臨時・団体と急行運用が主になりますが廃車は昭和40年代始めが多い様です。

更新日 平成25年11月20日

マシ38 1〜5・スシ28 151

イエロートレイン製真鍮コンバージョンキットをベースにした第3弾・今回はマシ38がマイ38用の台車と床板のセット
スシ28−151が旧製品カトーTR73に自作の床板との組み合わせで構成されています。

マシ38
2種類の分けて製作しておりベンチレーター撤去前と撤去後に分けています。
これは1・2・4が改造が遅れたため同時期に有る物と無い物が混在しているためでKMクーラーが変わらなかった為と推測されます。
戦後すぐに連合軍に接収されて、返還はかなり遅く整備して営業に入ったのは昭和26年頃からで、特急さちかぜ・臨時特急さくら に使用後は
急行 安芸 に長く使われて昭和43年廃車となりました。
車軸式の冷房装置KMクーラーは当初KM2でしたがその後にKM7に改められています。(カトー製の床板はKM7)
内装表現は戦後に整備されたえび茶塗り潰しですが、食堂の椅子は見ている限りにおいて(戦前の14年頃の写真)革張りの様なのでブラウンとしました。
試作車は喫煙室仕切にドアを付けて、風洞の表現をしていますが販売品は省略されています。

左マシ38 3(ベンチレーター撤去後・空気調和器点検蓋設置)・右 マシ38 1(ベンチレーター原型)



価格=38880円


スシ28 151
模型的にはこちらの方がはるかに手間の懸かる製作になっています。これはマシ38を作るときに絶対的にしておこうと思っていたのですが、
材料的な限界が有るので極少数の製作となります。台車は旧カトー製のピン台車を簡易的にTR76に見せかけた物を履いています。
工作としては31系の魚腹台枠の表現と試作車輌は台車カプラーの無い物が有るので車体カプラーに端梁表現+アンチクライマー表現を加えています。
(販売品は普通のアーノルトカプラー装備です)

マシ38との車体上の違いは喫煙室の窓が狭窓のまま製作されていて座席は2二人分で手洗い器か有るのが違います。

内装は床板と一体になって組み立てられています。台車は簡易表現のTR76(TR71系)
台枠は31系なので魚腹台枠を再現しています。

価格=38880円

スシ28 151 とマシ38
スシ28 151 は31系のダブルルーフ車体で37728が元になっていますが、昭和9年の火災事故で焼失したため
鷹取工場で翌昭和10年6月に車体を新製して復旧させた車輌です。この時にマシ38の試作的要素を含めているために
外観上は魚腹台枠の古い下廻りと新しい車体というアンバランスな物になっていますが、他のスシ37が戦時改造でマハ47となり
殆ど復元されなかったのに比べてこの車輌は車体が新しいという事も有ってか食堂車へ戻っています。
内装は2等車準拠でシナベニヤのクリアーニス塗りは他の28ナンバーの食堂車と同じになっています。
冷房装置は魚腹台枠が邪魔で取り付けがほぼ不可能で付けられませんでした。

マシ38は35系車なので台枠構造も全く違っているのですが、スシ28 151 と食堂部分の寸法はほぼ同一と言って良い位共通
している部分が多く唯一違うのは最初から冷房を搭載しているので屋根裏に空気調和器を装備して4人側座席の仕切の後ろ側に
空調用の風洞を設備しているのでこの部分の天井は低く吹き出し用のグリルが設置されています。
戦前での冷房装備はマイテ49等の展望車くらいで戦前では最優等車輌と位置付けられており、特急 燕 に使われていました。
戦後は連合軍に接収されて昭和25年に返還されて復旧整備をして(この時にマシ49と同様の塗り潰しが行われている)
特急 つばめ・はと の予備車、特急 さくら・さちかぜ に使用された後昭和33年頃から主に急行 安芸 に連結されています。
昭和43年に廃車となりましたが、ほぼ東シナ配置で過ごした車輌のひとつでも有りました。
予備車としての経歴は華麗で国賓待遇の特別列車として使用されることも多く御料車14号等との連結も多く有ります。
災難の多い車輌グループで、5 は戦災廃車・2は火災事故で焼失となっています。

最新更新日 平成24年12月8日

マロネフ59 1・スイロネ37 3

イエロートレイン製真鍮コンバージョンキットをベースにした第2弾・今回は台車は旧製品カトーTR73に自作の床板との組み合わせ
で構成されています。製作内容は同一でマロネフ59はブドウ2号の青帯車・スイロネ37はブドウ1号に白帯+青帯の構成です。
内装は当時の一等車のチーク材+ブラウンニス仕上げを意識して塗装しています。
マロネフ59は現在交通博物館で一般公開で見る事が出来る戦前製1等車となっています。

スイロネ37 3時代 ブドウ1号塗装

マロネフ59 1 ブドウ2号塗装 青帯

インレタの文字サイズ変更をして従来の約7割程度の大きさにしています。
帯の中の文字は完全に帯の中に収まる様になっています。
スイロネ37 3は前作のマシ49と同じ塗料を使っています。


マロネフ59 1内装画像
チーク材+ブラウンニスの焦げ茶に近い色出しを再現しています。
この車輌は戦前製ながら洋式便器を使っている数少ない車輌です。(シスタン式洗浄器)
一等個室は仕切りを取り外して1つとして使える様になっています。
1/4のテーブルの所で分かれていますがテーブルの下は暖房器が各自に取り付けられています。

マロネフ59 1・スイロネ37 3 価格=41040円


スシ28 301・スハシ38 102

イエロートレイン製真鍮コンバージョンキットをベースにした第2弾・上記マロネフ59と同じ構成で製作しています。
スシ28 301は架空番号ですが、1度のみ本線上走行が有りC53 45復活運転の時に鷹取→京都間を走りました。
その後にこの時の編成の3輌(スシ28 301−マロネフ59 1−マイテ49 2)が交通博物館にそのまま移動して保存となりました。
スシ28 301元スハシ38 102で廃車までは急行 日本海 として宮原区所属でした。改造工場は高砂工場
スシ28 301はブドウ2号で全室食堂車の内装・スハシ38102は現役時代のブドウ1号半室食堂車の内装で
内装色は2等車の標準内装のシナベニヤ+ブラウンニスの明るい色目になっています。

スハシ38102の北海道時代には調理室にもう一つベンチレーターが付いていましたが、早期に無くなっています。
屋根水槽も撤去されていますので屋根水槽給水口も有りません。水タンクはスロ54と同じで1000リットルタンクです。
宮原区になってから水槽キセが変更されている模様です。

スシ28 301の内装画像
4〜5列目が増設された食卓で窓との位置関係が少しずつずれており完全一致にはなっていません。
最後の1窓分は休憩室(簡易な待合室)になっています。塗装はブドウ2号に塗られています。

スハシ38 102の内装画像
座席部分は元は2等車で戦時改造で全室座席化改造の元の部分で食堂部分の復活時点で仕切りと食堂設備が復活しました。
調理室は屋根水槽の撤去や流し台等の更新を行っています。

スシ28 301・スハシ38 102 価格=38880円


オロネ10 茶塗装
再々製作品

お客様からの要望で再々製作した物です。
内容は前々回製作品と同様で手すり加工だけを追加しています。
塗色はブドウ2号を新しく作成して使用しています。

お気づきと思いますが、脱出用扉部分の加工はしていません。
前回製作品に比べてブドウ2号の色調は明るめになりました。貫通扉はクリーム1号で塗り分けしています。

カトーオハ35系と連結してみた画像です。基本色調はこの系列に合わせているので従来より少し明るい色調になっています。

旧作のマイテ49との連結画像です。オロネ10が少し赤茶っぽく、マイテが焦げ茶っぽい感じが良く解ります。

緑帯の中に黒文字で 寝台 は入れていますが、その他の車番・表記は添付していません。


最新更新日 平成23年11月20日

マシ49 1〜3

イエロートレイン製真鍮コンバージョンキットをベースに+カトー製床板と台車を使用して組み立て加工します。
ブドウ1号塗装で内装も取り付けの上で塗り分け済み。特急かもめ専用車としての製作で牽引役のC57−65も製作しています。

空調機の蓋は0.14ミリのプラペーパーで再現、ベンチレーターは既存の物を使っています。
KMクーラーでの冷房車輌ですがこの3輌はベンチレーターの撤去はしないままでした。
カトー製のベンチレーターを取り付けています。

KM空調機について
この機械式冷房装置は戦前に一応完成しており、マシ38等には夏期にのみ搭載されて使用されていました。
台車の一番後の車輪より回転軸を取って発電機と圧縮機械(凝縮器)を廻すというもので基本構造は最後まで同じです。
空気調和機と送風機は屋根裏に装備されています。(食堂車は食堂室内のみ冷房)
但し高速で走行すると車軸からの振動がひどく戦後になって改善を見ます。
戦後は連合軍接収車用として再製作・再装備されていきます。
マシ49は特急へいわ用として再整備されたスシ47時代に準備工事をして出場しています。
スシ47からマシ29−200番代やスシ48−10番代に分かれてマシ49はスシ48 13〜15の冷房化改造車です。
冷房装置は既設のマシ29 102〜104から取り外して特急かもめ用としての運用にはいります。
(冷房を取り上げられたマシ29は、スシ28−100番代に改正)
このKM冷房装置は1〜7まで各タイプが有りますが基本的には2回の大改良を行っています。(製造は2社有る)
食堂車以外の装備車は主に展望車・一等寝台車です。

内装装備の様子
モールド的には簡易表現ですが調理室・喫煙室共に一定のディティールを作成しています。
室内色はえび茶色の塗りつぶしを表現しています。(スシ47系列は塗りつぶし塗装)

特急 かもめ 編成表
(通常8輌・最大定数9輌まで)

博多 19;30      (昭和32年6月5日まで)        京都 8;30

スハフ43 スロ54 スロ54 マシ49 スハ44 スハ44 スハ44 スハニ35 C59

価格=38880円


マシ29 100番代

上記のマシ49と基本的には同一車体ですが、製作年次の違いでリベット表現の無い車体です。
違いは喫煙室と内装(マシ49はペンキの塗りつぶしでマシ29は従来のニス塗装)でこちらはブドウ1号以外にも塗られた事が有ります。
マシ29−100番代はKMクーラー装備の冷房車輌で対九州向けの急行列車に主に連結されていました。
模型では内装の一部を省略、床板をGMに台車をカトー製品のピン台車(マイテ49用)としてコストダウンを図っています。

内装は省略しましたが、喫煙室側の仕切り板や調理室の仕切りは塗装済み(えび茶色)の物を装備しています。


更新日 平成22年6月20日

スロ60 近代化改造

カトー旧製品をコストをかけずにどれだけ出来るかという試作的製作品です。
車体改造は客ドア交換以外ほぼ手を加えていません。
洗面室窓は銀テープを切り出して貼り付けており曇り窓ガラスはペーパーにてやすっているだけの表現です。
窓枠部分をマスキングした上でぶどう2号と緑帯を塗装しています。
コスト削減の為に車番等の製作はしませんでした。


オロネ10 茶塗装
再製作品

お客様からの要望で急遽製作した物です。
内容は前回製作品と同様で手すり加工だけを追加しています。
塗色は旧型国電用の特別色を使用しています。

お気づきと思いますが、脱出用扉部分の加工はしていません。
塗色はこの3枚目の画像が一番イメージを捉えています。


平成21年11月20日

スロ54 近代化冷房改造 青15号 緑帯

カトー青大将セットの中のスロ54+スロ62の屋根と床板を合成したものです。
台車はTR23Eコロ軸改造を履かせています。
トイレ窓については数種類の改造法が有りますが、白色窓(アクリル製窓ガラス)のタイプになります。
客扉は最もポピュラーなHゴム大型窓のタイプを選択しました。(標準のタイプ)
窓はアルミサッシ化されていますが、窓枠も塗りつぶしになっています。
(非サッシ化車輌というか可動窓枠は木枠+ゴムパッキンで外レール等の見えない部分がアルミ化されています)

内装は初期のRシート色のオレンジ+ブラウンのイメージです。
青15号は良く併結された10系軽量客車とほぼ同じ色を作成して塗装しました。

近代化冷房改造された特ロの運用・分布について
近代化冷房改造された車種はスロ54・ナロ10・オロ61の3車種のみでオロ61は重量増でスロ62となり、ナロ10もオロ11
に改番されていますが、改造法は元屋根を撤去してあらかじめ造られた鋼板屋根に載せ替えるという方法で3車共同じです。
運用ですが、かなり特徴的でオロ11は全車鹿児島に一旦集められていたために全車九州所属で東京・関西方面で見られたのは
急行運用で京都や東京口で見れる程度(早鞆・玄海・薩摩・西海)でほぼ九州内運用が多いようです。
比較的に廃車が速くその代用でスロ54・62が来ました。原因は電気暖房化をしていないので限定されてしまった為です。
一方スロ54は台車をTR23系に振り替えてマ級になるのを防ぎ電気暖房を付けた車も多く有りました。(2t以上アップ)
しかしこちらも関西系列車が殆どで関東・東北方面で見れたのはきたぐに・日本海・瀬戸・出雲の運用位と思います。
これも転属が北陸方面より北が無いので東京方面で見られたのは少ないと思います。
スロ62は輌数も多いために最後まで残った改造車で非冷房車・オロ11やスロ54が廃車になると補充で各地に転属になったので
有る程度ポヒュラーな存在になったと思います。オロ11やスロ54が関西以西というのは暖房がSGで十分だったことで
末端になるとSGでは温度と圧力が減ってしまうという不利と元々床板に断熱材を装備していなかった事が理由と思います。
スロ54は500番代が有りますが、これは床板からのやり直しで徹底的に防寒処置が執られています。
この車種の異端児としては、マロ55 26・29(後に台車をTR23Dに替えてスロ54)が有り床下にAU21をつり下げて
床下より風洞通風されて冷房されていました。この車は宮原区で比較的速く廃車となりました。

以前に作成したマロ55 26・29(GMキット+カトー製床下と台車を装備)


マイネ40 登場時 白帯

レボリューションファクトリーの旧キットを改修して製作しています。
こちらも内装を付けています。かなり以前に注文製作していたものを途中でキャンセルされたため1輌のみの製作品
マロネ・マロネフ29、オロ40を合わせると往年の優等列車がほぼ再現出来ます。


マロネ29−100 マロネフ29−100 

両車輌共にタヴァサのキットを組み立て加工したものです。
下廻りはカトー旧製品マイテ49用の床板とTR73台車を装備させています。
今回の製作は内装を取り付けています。ベンチレーターはカトーのお召し編成用のものを使用
内装の仕切(えび茶で塗装)だけでなく妻面扉を入れています(戦後仕様の為)
マロネ29−100は青帯の時代と緑帯の末期の2種類を用意して緑帯車はスハ43系用のブドウ2号で塗装しています。

マロネフ29−100 の車端部アップ画像とマロネ29−100の内装画像


オロ40 1〜23TR23 張り上げ屋根 24〜37TR23 普通屋根 38〜82 鋼製屋根 TR34

これもタヴァサキットの組み立て加工で下廻りはカトー35系用を使っています。
当然台車も違っていますので替えています。
1〜23は張り上げ屋根と細い雨樋も表現対象になっています。また張り上げた上の部分はキャンバス張りの質感を塗装でだしています。
こちらは内装は付けていませんがデッキの仕切と貫通扉を付けておりえび茶色で塗装しています。
こちらも青帯と緑帯の両方を用意しています。

価格=21600円  普通屋根のみ 19440円


  オシ16 1〜3 2004〜6  

 平成18年5月 特製品リニューアル
平成19年6月 組立加工品マイナーチェンジ

  

  特製品ボディはGM製品、レジン製オリジナル内装板を装備、窓はアクリル板からの削り出し・室内灯白LED点灯加工済み
   製品内容をH18/5よりマイナーチェンジしました。窓ガラスの透明感は最高で内装の状態がよく見えます。
  

組立完成品は窓ガラスを従来の塩ビ板の付属品から宮0.2ミリの透明プラ板切り出し品に変更しました。
車輌中央の3連の窓もHゴムを削り取り下降窓表現の為の窓桟を塗装表現にしています。
屋根板はキットのままですとデコボコ感が有りますが、これを平滑化加工して銀屋根の表現が格段に良くなりました。
ガラベンはカトー製・台車の取り付けも従来のピン止めではなくビス止め加工をし直して台車の安定性を確保しました。

オシ16組み立て加工品 茶2号・青15号塗装=10800円


マニ34 大扉改造車 1次改造初期車

レボリューション製品を組み立て加工したもので初期車はカトー製品の床下を使用、
大扉はGM床下をディティールアップして使用しています。
基本組み立ては半田付けなのでかなりガッチリと組み上がっています。
以前にタツヤ模型製を組み立てており味付けはかなり異なりますが雰囲気は良いと思います。
1次改造初期車は連結面の扉を装備していないので車掌室との仕切を表現・円板標識も付けています。

価格共に=25920円


ナハ10 ナハフ10−17〜 初期 茶塗装

カトー製品ナハ10・ナハフ11の先祖返り加工で大きな変更点は折り戸になります。
ナハフ10は車掌室窓の関係から17番以降の物になっています。
またナハフ10は初期車の設定から反射板の取り付けを行っております。
青15号からの塗装変更はそのまま塗装すると茶色が暗くなってしまうので下地塗装をしてからぶどう2号(調色)
を塗装していく2段階塗装をしてこちらも初期に優等車に使われた所から光沢塗装としています。


スロ54 茶塗装 青 帯

カトー製品青大将の塗り替え品です。スハ44系との併結を考えて通常のぶどう2号より少し暗い色(43系とは違います)
に光沢塗装して優等車感を出しています。車番・表記類はインレタ貼付済みです。

スロ54 茶塗装 青帯 販売終了


マイテ58−1 茶塗装

基本はカトー製品で屋根板の加工+ベンチレーターの取り付けが外観上の変更点です。
塗装は光沢塗装でスハ44系と編成を組むに当たって違和感の無いようにしています。
車番と車体表記はインレタ貼付済みです。

マイテ58−1 =販売終了


オシ17 3形態

オシ17は「はと」セットの発売により3形態全てが揃いました。
今回1〜4・5〜9・10・11〜の3種類を茶塗装で塗り替え加工しました。

3形態の違いを比較

まず1〜10は喫煙室に非常扉が設置されていましたが11以降には無くなって1枚窓のすっきりとした形状になっています。
次に業務用扉が1〜4では窓が無くこの扉の裏には折り畳みの腰掛けが有ります。5〜は扉に窓がついています。
最後に10番だけは台車がTR53からTR57(KD11A・空気バネ)に変更されていて
履いているのは10番とマイフ97−1の2両のみとなっています。
TR57はこの後に作られたお召し1号編成用の台車研究用として近畿車輛にて試作されたものです。
この10番になった経緯は製造直後にタイ皇太子の訪問の際に使うことがあらかじめ予定されていたためです。

製品価格 11〜=8100円・1〜4=8640円


スハフ43−1〜3茶塗装

第11回JNMAフェスティバルのサービス価格製品
テールライト点灯加工で内装塗装済み、表記類はインレタにて添付済みです。
種車はGMボディ+カトー床下、台車 テールライトパーツはオハネフ12用を持ってきています。


スハフ43−11〜24茶塗装

第11回JNMAフェスティバルのサービス価格製品
テールライト点灯加工で内装塗装済み、表記類はインレタにて添付済みです。
種車はカトー製品のスハ44です。 
サッシ窓仕様と通常の窓の2仕様の設定をしています。


マイ39 ブドウ2号 白帯

カトー製品の塗り替え品となります。光沢塗装でスハ44系に色調を合わせています。
貫通扉が観音開きの物を取り付け・内装塗装済み、表記類はインレタにて添付済みです。


ナロハネ10 新製登場時

GMボディ+カトー製ナロ10床下を基本組み合わせとして室内点灯可能品です。
GMボディは車体の実車と異なる部分を出来る限り修正、はめ込み窓・パーツ取り付けでディティールアップしています。
塗装は登場時の想定でブドウ2号光沢塗装でインレタ貼付済みとなっています。

修正点の比較画像(青15号車は6年前に製作した物)
ドアーは原型に交換、ドアー上の車体壁の加工(ここに2・3等寝台の表示有り)・手摺り取り付け、はめ込み窓の質感向上、
洗面所窓はキットは小さいタイプ(エラー部分)から通常の大きい物(Hゴム表現有りレジン製はめ込み窓)へ交換
妻面の前位側は貫通ドアーの撤去と客室仕切ドアーの設置

出来るだけの加工を致しました。塗装は今回光沢塗装で光りの当たり方で色調が変わって見えます。
はめ込み窓のぴったり感など現時点では多分最善の作品となっていると思います。


ナロ10 茶塗装

カトー製品塗り替えに拠るものでナロ10は青大将運用終了後の緑帯時代 
オロネ10は同時代の初期塗装を再現しています。どちらもインレタ貼付済み製品です。


マイテ39・マイテ49−2

カトー製品改造品です。マイテ49−2は床下機器配置を見直しています。

販売終了しました。

                  


マイフ97−1

      実車解説=種車はオハフ33で東海道線の二宮で事故休車となっていた物を連合軍の巡察車
      として昭和26年にスヤ51−1として完成しその後にスイ46−1→マイフ97−1となる。
      営業用としては外国人観光客用として主に用いられた。晩年に台車がTR40Bからシュリーレン
      台車で空気バネ付きのTR57になっている。昭和35年?廃車され中央鉄道学園に70年頃まで現存した。
      この車輌の他にRTO巡察車として改造されたものが7両ほど存在しました。(他車は32系車とスロハ32)   

 

  

マイフ97−1現在完売品


オハネフ13−2600番代

実車は団体用暖急車としてナハネフ11−600番代として製造されました。
ナハネフ11との違いは車掌室と給仕室の窓配置の違いが有り他はナハネ11と変わりません。
模型もオハネ12からの改造・ディティールアップ加工+T・Rの点灯加工をしています。

オハネフ13−2600
販売終了品


オハシ30−1〜3

 

一見普通のオハ35の様に見えますが昭和24年に仙鉄局が独断で改造した戦後としては日本人用として初めて
営業を開始した3等・食堂合造車でオハ35の戦前型からの改造は3輌有ります。
昭和30年頃に片側のデッキを塞いだスタイルとなって、昭和40年ごろまで活躍していました。
この後に好評だったためスハ32系よりも3輌改造されてこれらの車は
後に20系の分割時の簡易電源車のマヤ20になっています。

 

模型はGMのボディとオリジナルの内装板、カトーの旧型車の床下・台車を合わせて製作しています
室内灯を初めから組み込んでいますので雰囲気のある姿を楽しむことが出来ます。
ぶどう色は調色によってカトー製品等と編成を組んでも違和感の無いようになっています。
模型は新製時から昭和30年までの姿
インレタ添付品 オハシ30−1
(現在完売品)


スハ44・スハフ43−11〜24

模型仕様=スハフ43−11〜24 室内灯・テールライト点灯加工、ボディ部車掌室部分窓埋め加工、客扉取替改造
     スハ44 デッキ部手摺り取り付け、客扉取替改造


お蔵入り(廃盤品)
以前に製作したもの

オハ14−300番代 あかつき レガートタイプ

カトー製品を加工しています。テールサインは白色LEDで点灯します。
内装はレジン製の椅子パーツを使ったスクラッチ内装板です。

販売廃止品


オハ24−300番代 なは レガートタイプ

こちらもカトー製品加工でレジンパーツ使用のスクラッチ内装板です。
前回品よりグレードアップの上、価格を極力抑えたサービス品とも言えると思います。

販売終了品
総製作数28輌


オユ12・スユ13−2000番代・スユ15−2001

前回とほぼ同じ内容ですが、手摺りの追加工作など全体的にディティールアップのレベルを上げています。
ベンチレーターはカトーのアッセンブリーパーツを使用
オユ12・スユ13−2000番代販売廃止品


スハネフ14−500番代 オホーツク用

トミックスのスハネフ14を加工したもので前回までで総製作数は26輌を数えました。
今回はエクストラ版の画像です。 

販売終了しました。
製作総数21輌

オハネ14−500番代 オホーツク用

こちらもトミックス製品を加工したもので今回はエクストラ仕様での出品で価格据え置きとなっています。

販売終了。
製作総数12輌


オハネ14−300番代 あかつき用

トミックス・トワイライトエクスプレス用オハネ25−520を改造しています。クーラー部分は未改造です。
こちらの画像も初回制作時のもの・金帯は今回よりインレタを使用しています。

販売廃止品 総製作数 6輌


旧型客車 スロ54 青大将色

模型仕様=GMスロ53ベース+カトー製ベンチレーター+カトー製床下・手摺り等の細密工作
インレタは貼付しています。
スロ54青大将色 販売終了品 


スイ38・マイ38

レボリューションファクトリーの真鍮キット組立+内装を再現+床下機器の補正をしています。


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