戦後客車の列車編成

電車が全盛時代の今となっては客車はほんの僅かしか有りませんが、終戦直後からJRに移行するまでの間はどこかに必ず客車列車がありました。
私自身は旧型の客車から20系〜24系ブルートレインまで幅広く乗っていた事も有り模型化するに当たって模型を
編成に入れる時の参考になればとの思いからその時代背景と共に解説をしています。


編成表は基本は手持ちの時刻表の巻末に有る編成表を見ていますが、特殊なものは数種類の各雑誌や写真の一部を見て
判断する事が有ります。また後日に新しい発見や間違いを訂正する事もありますので文面が変化する場合が有ります。

最新更新日 令和4年7月1日

戦前製造の1等寝台車 マロネ49・マロネフ49
(マイネ38・マイネフ38)の編成 戦前〜終戦・連合軍専用列車まで
(車輌史編さん会 スハ32形の一族・制作元の説明書等より引用)

マイネ38・マイネフ38(マイネ37130・マイネフ37230)は昭和5年に特急富士用として5輛ずつが製作されました。
運用は当初4本使用予備1輛で運用されています。
当時は一等寝台車の鋼製車としては前年製作の31形マイネ37・マイネフ37で特急 富士に連結されており入れ替わりで
マイネ38・マイネフ38が1輛ずつ編成に組み込まれています。従って展望車には区分室が有りませんでした。
マイネロ37は敦賀港行き急行で使用されており(週3日の運行・急行9・14レに併結)
これもマイロネフ37(マイロネフ37280)に変えられています。
置き換えが有ったマイネ37はまだ主に東海道・山陽方面での使用が主ですが
これ以外では常磐線経由の急行 201・202レがマイネ37の連結が有りこれは東北方面での唯一の使用です。

その他の一等寝台車は東京→下関の7・8レが有りこれは京都→下関間に展望車オイテ27000も連結しています。
この展望車オイテ27000は昭和14年にマイテ37050に改造されて鴎の展望車として後に使われます。
さらに急行ですが東京→神戸間の17・18レ・いわゆる名士列車に1〜2輛のマイネ38・マイネフ38の連結が有ります。
マイネ・マイネフ38の公式な完成は昭和5年3月30日となっていますが、実際は前年10月には完成しており直ぐに投入された模様です。
昭和9年10月の改正で東北・北海道の一等車連結が廃止されています。
常磐線急行 201・202レの一等寝台車の連結が無くなって、マロネ38が代用として出てきます。
北海道急行 401・402レもマイロネ37260の連結が無くなって車輛は東京で予備車として使われた後に暖急車改造の上で
特急 鴎 の展望車代用として使われていきます。
昭和9年当時 特急は 燕・富士・櫻の3列車のみです。
編成表を解りやすくする為に車号改正後の名称に直しています。

昭和4年10月 特急 富士
マイネ・マイネフ38がマイネ37より置き換わっています。

スユ30 スニ30 マロネ37 マロネ37 マロネ37 スシ37 マイネ38 マイネフ38 マイテ37

昭和9年10月 急行 17・18

スニ30 マイネフ38 マイネフ38 マイネ37 スロ31 スシ37 マロネ37 マロネ37 マロネ37 マロネフ37 スニ30

マイネフ38が2輛連結されていますが、これはマイネフが全室2人個室だったため(特別室は不要)
東京・神戸間なので2編成+予備1輛の使用で全車こちらで使われています。

昭和9年10月 特急 富士
この頃になると特急も1・2等のみでは営業的には苦しくなるので3等車が連結されていきます。
この頃から3等寝台車が登場しますがまだ連結は少ない状態です。

カニ37 スハネ31 スハ34 スハ34 スシ37 スロ34 マロネ37 マイネ38 スイテ39

スハネ31とスハ34が連結されて3等車が入ってきます。
スハネ31は戦中に座席車改造されて戦後に再びスハネ30として再改造されています。
スハ34は特急用の普通座席車としてシートピッチが広くて戦後のスハ44と同じ感覚です。

一等寝台車は戦争中の昭和19年に使用停止となって疎開移動されて戦後すぐに全ての1等寝台車は連合軍に接収されてしまいます。
連合軍専用列車としてはオクタゴニアン号アライドリミテッド号ヤンキーリミテッド号に入っています。
なお接収後の昭和22〜3年にかけてマイネ38 1・4・5は冷房化改造工事を受けています。
この時に客扉の一つが鉄板にて塞がれています。(このあたりは展望車や一等車の冷房改造の主因)
この時の工事は扉を外してそのまま内側からの溶接作業で外板側に段差がそのまま付いています。この部分が配電室となりました。
マイネ38・マイネフ38は接収解除後にもう一度再整備されて車体裾のリベットが無くなっているのが確認されます。
配電室の段差も無くなっていて、ここで各車体毎の区別がつく様になっています。

その後の運用は特殊列車(元のアライドリミテッド号→早鞆とヤンキーリミテッド号→十和田)扱い
それ以外の定期運用はしばらくは有りません。

この後も続きが有りますが後日に更新・掲載致します。


戦後の2等新製寝台車 スロネ30の編成(青帯時代)
(車輌史編さん会 スハ43形の一族・鉄道ピクトリアルより引用)
スロネ30は昭和25年に10輛新製されましたが、この車輌にはマロネ39というプロトタイプが存在します。
マロネ39は戦争中にマロネ29の普通2等寝台車をロングシートの通勤車マハ29となっていた物を復旧させる際に3輛のみ試作目的で
昭和24年に復旧・改造されて急行 15・16レにまず使用されます。この結果を見てスロネ30が作られます。

昭和25年
急行 15・16レ(愛称名はまだ無い・管理局名は流星)品川区

マイネ41 マロネ39 マロネ39 オロ40 オロ40 スハ43 スハ43 スハ43 スハ43 スハ43 スハ43 スハフ42

スロネ30は昭和25年度予算ですが出来上がったのは26年3月ですので4月くらいには変わったと思われます。

昭和26年4月

急行 彗星 15・16レ

マイネ41 マロネ38 スロネ30 スロ60 スロ60 スロ60 オロ40 オロ40 スハ43 スハ43 スハ43 スハ43 スハフ42

この編成は急行としては超豪華編成で半分以上が2等車以上となっています。
時刻表には特ロネとなっているので区分室付き2等車のマロネ38と思われます。
本来は特急用であるスロ60が3輛も入っています。
品川区はスロ60が16輛も有るので、はと5輛が2本 彗星3輛が2本で予備が無くなりますが数はピッタリ合います。
夜行急行としては3往復体制ですが今回はスロネ30の編成となっているのでもう1本の明星は省いています。
この時代の 月光 はオール座席編成で今回のスロネ30とテーマがちがうので載せていません。

急行 銀河 13・14レ

マイネ40 マイネ41 スロネ30 スロ50 スロ50 オロ40 スハ43 スハ43 スハ43 スハ43 スハ43 スハ43 スハフ42

宮原区受け持ちの銀河は特イネが表記されていて
但し特ロはスロ60を使える余裕は無くスロ50を当てています。


昭和28年11月で改正が有り臨時列車として運用されていた急行が定期急行 月光 となり合計4往復体制
ここで受け持ちが変更になって銀河 品川区・彗星 宮原区・月光 宮原区となります。

昭和28年11月  急行 銀河 13・14レ

マイネ40 スロネ30 スロネ30 スロ53 スロ53 オロ42 スハ43 スハ43 スハ43 スハ43 スハ43 スハフ42

この時に対九州急行 霧島 にマロネ39が充当されています。
銀河編成に2輛が2本で予備車1輛になっています。
この時代では最新の2等寝台車という位置を保っています。
一方の宮原区受け持ちとなった彗星はマイネ40→41と特ロのスロ50と少し差が出ています。

昭和30年2月  急行 彗星 15・16レ

マイネ41 スロネ30 スロネ30 スロ50 スロ50 オロ40 スハ43 スハ43 スハ43 スハ43 スハ43 スハフ42

昭和30年2月に一等車廃止の直前は月光もスロネ30 2輛となっており、
特ロの組み込み車輛に差が有りますが銀河・彗星・月光はほぼ同じ編成に揃えられているので一部が共通運用されていると思われます。
(配置は宮原6輛・品川4輛になっています)
御料車14号と編成
(車輌史編さん会 オハ35形の一族より引用)
昭和13年にイロネフ37290として直宮用(秩父宮・高松宮・三笠宮)として鷹取工場で3輛が作られました。
35形の戦前までに展望車以外での一等車はこの形式のみとなっています。
当初配置は東京2輛(品川・尾久)と大阪(京キト)になっています。
(戦後はマイネ40・41寝台車が一等車となります)?いて
昭和16年にスイロネフ38 1 と改称、終戦後に連合軍に3輛共接収されていまいます。
スイロネフ38 1は軍番号1309 となり御料車10号・11号と共にオクタゴニアン号に組込まれます

オクタゴニアン号
スハニ33 13 スイロネ38 1 スイロネフ38 1 マイネ38 4 御料車11号 御料車10号

(オクタゴン→第8軍司令官列車で10号・11号・1309号・1202号→マイネ38 4の6輛の固定編成で東北方面への不定期列車)
連合軍接収中はKM−2冷房器が設置されて配電盤増設で4位側扉が塞がれていました。
スハニ33は後に3等腰掛けを2等用に変えて上部に簡易寝台を設置してスロ二33となります。
(荷物室には大型の冷蔵庫が設置されていた・スハニは料理担当やサービス担当の日本人用になっています)
当時の冷蔵庫は電気式では無く大きな氷柱を上部に沢山入れて下に冷気を自然に落とす方式です。

連合軍接収後の車輛状況は
アイケルバーガー中将時代は原型と大きくは変化していません
(大きな物は冷房取り付けをしましたが良く冷えていた訳では無いようです・開放室側にはあまり冷気は入らない)
ウォーカー中将の時に区分室の仕切りを外して1ブロック分個室を延長拡張してシャワー室を設置
従来の2段式のベットを撤去して やや小さめのベッドが2台を再配置しています。
これは中将夫人が行動を共にしている場合が多く個人的な要求でこういう配置になったと思われます。
ウォーカー中将はまもなくして朝鮮動乱の為に第8軍と共に朝鮮に移動して戦死してしまいます。
第8軍の朝鮮移動後は使われる事が無くなった為に接収解除となった物と考えられます。
昭和26年夏に接収を解除となり、皇太子用車として再整備されます。この時に冷房器は取り外されています。
しかし基本的な配置はシャワー室も残置されており区分室内は新製時より広くなっています。(開放室は1ブロック減)
御料車14号の皇太子使用は1回のみで、それ以降は貴賓客用として使われています。
(この時の編成は1号編成の1号御料車の代わりに14号御料車を連結・1号編成は未だ未改造で現在とは異なります)
皇太子は以降は2号御料車を使用しています。10・11号御料車は返還後は一度も使用していません。
10号はそのまま御料車車庫にあり続けて、大宮の鉄道博物館に現在は展示されています。
11号は昭和30年代に廃車・解体されましたが内装の一部の部材は残されて他の車輛に転用されています。
御料車14号は国賓の京都訪問時に主に使われています。

昭和33年9月のインド大統領の時は次の編成でした。
東京→京都
EF58 61 オロフ32 7 マロネ29 114 スシ28 151 マロネ40 11 御料車14号 マイフ97 1
12月 フィリピン大統領
東京→京都
EF58 61 オロフ33 4 マロネ29 114 マシ38 4 マロネ40 2 マロネ49 3 御料車14号 マイフ97 1
昭和35年4月 ネパール国王
東京→京都
EF58 61 オハ二36 11 供奉車344号 マシ38 3 御料車14号 マイテ39 11
昭和35年12月 パキスタン大統領
東京→京都
EF58 61 オハ二36 11 供奉車335号 オシ17 10 御料車14号 マロテ49 1

昭和35年12月のオシ17 10は空気バネ台車のTR57を装備で新製時は主に貴賓用としての存在
(マシ38の代替車でその為にこの車輛のみ空気バネを使っている)
機関車次位のオロフ・オハ二は招待客接遇用のスタッフ控え室としての運用
マイテ39 11は展望車全体の予備車で定期運用は無し
マロテ49 1は青大将塗色からの復帰直後の使用でブドウ2号に青帯・昭和38年に廃車
なお戦前のマイロネフ38の写真は完成時の納品写真くらいしか有りません。
戦争中後期は真岡の機関車庫に疎開留置となっていた模様です。
戦後の昭和26年以降になって始めて撮影されています。

後のマロネフ59・マロネ58は次回以降に書かせて頂きます。


マイフ97 1 誕生と編成
 (令和2年10月にARC招待列車の編成を付加・令和3年7月に編成を改訂)

(交友社 回想の旅客車等複数誌より引用)

マイフ97 1は連合軍巡察車として昭和21年に事故に遭ったオハフ33を改造して昭和25年4月にスヤ51 1として落成しました。
巡察車は当時の英米駐留軍の各司令官用(師団長クラス)としての使用が予定されており、
スヤ51 1はマッカーサー専用として用意された模様です。

内装は当時の1等車と同じでチーク材にブラウンニス仕上げで重厚な感じになっています。
向きはマイテ等の展望車と同じ向きで東京側に向かって展望室があります。
内装に使う生地はアメリカ軍からの支給品で当時の日本には無かった生地が使われています。
(この辺りは軍専用列車の改造車でクラブ車等の豪華設備をもった車輛もほぼ同じやり方です)
クーラーは改造当初に搭載されており最新型のKM−4を装備しています。(マイネ40と同じ)
但しマッカーサー本人はほとんどを東京で過ごした為、それ以外の米国高官用として使われています。
(当時はダレス国務長官が日本に良く来ておりその分の使用は多いと思われます)
マッカーサーが東京以外に行っているのはこの年の7月に朝鮮戦争が勃発しており7月に水原まで視察した程度で
その後の仁川上陸作戦の時は佐世保から強襲揚陸艦リッジウェイで指揮を執った後すぐに帰着しています。
(ちなみにマッカーサーは飛行機嫌いという事らしいです)
車輛自体はそういった経緯で昭和26年には接収解除となり27年には外国人旅行客用としてスイ46 1に改番されます。
この時は便宜上の改番のみで改造は施されていない模様です。この頃には台車はTR40Aに変わっています。
昭和28年の称号改正でマイフ97 1となります。
この頃になると接収解除となった車輛がほぼ返還整備されて使える様になり、外国人専用の観光列車として使われる事が多くなりました。
スイ38・マイネ48・マイネロ37等と主に東京と京都・大阪間を走りますがこの頃に次第に余剰となっていきます。
(この列車は最初は軍専用で最低でも並ロでマロネ29・マイネロ37・マイネ48という名士列車もかくやという豪華編成)
これは一般営業としての特急・急行が復活したためで特に専用列車を仕立てるまでにはなく
一般営業化された列車の増結車としての運用に移っていく他ならなくなったからと思います。
この頃の急行彗星もマロネ49が連結されています。(ダブルルーフですが空調付きの個室寝台で二等Aの区分)
スイ38冷房取り付けでマイ38となり空調付きの開放1等車として昭和32年から青大将色でつばめ・はとに増結されています。

次の仕事としては外国要人に対する貴賓車としての運行で御料車14号やマシ38と共に天皇の差し回し列車として
仕立てられる機会が多くなっていきます。(一等車の内装を持っている車輛はかなり少なくなっています)
昭和32年になって冷房の更新・台車の履き替え・室内の再整備を行い翌33年の第1回ARC展は東京・博多間の特別招待列車
として往復しています。
(編成内容がほぼ判明しました・車輛番号は不詳です)
東京←→博多
牽引車不明 マニ? マロネ29 マロネ29 マロネ29 オシ17 マロネ49 マロネ49 ナロ10 マイフ97 1

マロネ29は屋根の低さとベンチレーターの位置を勘案すると0番代のダブルルーフ車と思います。
(0番代は予備車的存在になっており、竹下・早岐の配置車と考えられます)
ナロ10は青大将色以外の車輛でかもめ用の29〜33と思われます(2輛×2編成で1輛が予備となっている)
オシ17は品川区の6〜10のうちの1輛と推察で10の可能性が高い
当初ナロ10の前位に付いていた車輛はマロネ29では無くマロネ49と判明しました。
丁度この時期は予備車となっている時期で冷房付きの1・4・5のうちのいずれかと思います。
マイフ97 1 再整備内容

台車の履き換え(昭和29年OK−3→ TR57空気バネ台車)
冷房装置の入れ替え(KM−4から KM−2へダウングレード)
冷房装置の空いた場所に大型温水タンクを設置してシャワールーム設置
冷房装置の入れ替えはKM−4のブラインタンクが重量が大きい割に連続走行すれば蓄熱による冷房の必要性も低くなり
当時KM−2はかなりの余剰化状態になっていたので簡単に取り替える事が可能だったため
(KM−3は塩水に拠る蓄熱冷却回路が有るが、KM−2には無く軽い・コンプレッサーは強化されていると思われる)

貴賓客運用が多いのは昭和33年からで9月のインド大統領の時は次の編成でした。
東京→京都
EF58 61 オロフ32 7 マロネ29 114 スシ28 151 マロネ40 11 御料車14号 マイフ97 1
12月 フィリピン大統領
東京→京都
EF58 61 オロフ33 4 マロネ29 114 マシ38 4 マロネ40 2 マロネ49 3 御料車14号 マイフ97 1

この頃が一番活躍していた時期ではないかと思われます。
この時の御料車14号は菊の紋章付きで機関車もお召し並みとなっています。
(EF58の日本国旗の交差は無く日本と招待国の交差)

昭和40年を過ぎると秋葉原−御徒町間の留置線に置かれてその後に中央鉄道学園(現鉄道総研)で教材として保存されていました
中央鉄道学園が無くなると建物と一緒に解体されて消滅しました。


青大将色の編成解説

(出典元 鉄道ファン誌より引用)

青大将色にスハ44系が塗り替えられて営業を開始したのは昭和31年11月19日で東海道線の全線電化(米原−京都間が最後)
でこの前の9月辺りから塗り替え工事を実施してつばめ・はとに充当されました。
この最初の段階で淡緑5号に塗り替えられたのは合計70輛です。(当初は5本+予備車)
この改正では 夜行特急 あさかぜ が運行開始となっています。
青大将色は昭和35年5月31日まで昼間客車特急の白眉として営業運転をしています。
昭和30年の7月より一等車廃止後もマイテ39・49・58 マイ38 マイフ97 は一等車廃止の特例対象外車輛となっています。
青大将色終了のその後しばらくの間一部の車輛は淡緑5号のまま使われていたりしています。
(団体専用車としてマイテ49はマロテ49で青大将色の青帯付き・マイ38もマロとして同じ)

昭和31年11月19日(青大将の初日) 東京発つばめ 
牽引機 EF58 89 記念ヘッドマーク掲示

編成定数10輛 増結スハ44 1輛(増4号車)

EF58 57 スハニ35 スハ44 スハ44 スハ44 スハ44 スロ54 スロ54 オシ17 スロ54 スロ54 マイテ39 1

オシ17の予備編成車としてマシ29 101がこの70輛の中に入っています。
(オシ17 1〜4はボディの新製から淡緑5号で出場してもう1本にマシ29101が入っているので計5本体制)

EF58 スハニ35 スハ44 スハ44 スハ44 スロ54 スロ54 マシ29101 スロ54 スロ54 マイテ39 21

スロ54はナロ10が完成すると入れ替わっています。(昭和32年新製の1〜28・4輛×7本体制)
スハ44は全てが淡緑5号の塗り替えを行っていません。竹下配置車はブドウ1号のままです。(かもめ運用車)
マシ35 11・12は31年末からブドウ1号のままでオシ17の点検時に代用で入っており32年頃に塗り替えを行って
食堂車は7輛体制で運用されています。
展望車は当初マイテ39 1、21・49 2・58 1、2の5輛体制・マイ38 2輛でマイ38は増結運用で定期ではありません
展望車はその後にとマイテ49 1が青大将色になり現役全車が青大将色になります。
この時にマイテ39 11は桃山式のままで予備扱い(内装が霊柩車的と言われていた)
スイテ48 1は現役復帰が最後まで有りませんでした。(スイ99 1の解除から事務室代用となっている)

編成は当初は基本10輛でしたがナロ10が入ってから大体13〜14輛での運用となっています。
スハ44とナロ10はほぼ同じ比率で編成が出来ています。(スハニ・スハ4輛・ナロ4輛が標準構成)

牽引機のEF58は初日の東京発の57号機と大阪発の89号機以外は未だ出来ておらず翌年の3月までに
順次塗り替えを行い最終的には東京機関区 11輛 宮原機関区 13輛の24輛体制で運用しています。
EF58は青大将色のままで荷物車等の牽引にも使われています。


マイネ40・41の誕生の経緯とその後の使用状況・列車編成
(出典先 各社時刻表の列車編成と車輛配置表・鉄道ファン等の雑誌から)

マイネ40は昭和23年・マイネ41は昭和24年に完成していますが、元々の経緯は連合軍専用車としての要求から始まります。
(接収していた1等車の主力は31・32系のダブルルーフ車で個室装備と区分室装備が少ないという理由)
個室装備の有る車輌は戦前でも極一部なので接収車輛を改造してオイ・オイネをある程度の輛数を揃えています。
この要求の中には後に特ロとなるスロ60・50も含まれています。接収した一等車や並ロでは狭すぎるという事からです。
但し予算と製作費用は紆余曲折の後に鉄道省持ちという事にされてしまい最終的には鉄道省の予算で造られています。
(各車輛メーカーには正式要求から数ヶ月以内に納車と言われており先行してある程度の輛数をすでに製作していた)
マイネ40・41の開放室寝台のプルマン式は当時の欧州・米国の標準がこの方式だったため要求の中に入っていた為実現となりました。
(当初の日本案は2等寝台として製作する予定で後のスロネ30に近い案を提出していました)
そして戦後始めての日本人用新製寝台車となりました。当時はまだ夜行特急は無いので急行への連結が主流で特急に連結されたのは
さちかぜ・あさかぜの夜行特急が出てきてからという事になります。最初は後の急行銀河で昭和24年9月に1・2等のみの編成

昭和24年9月 急行1・2レ(列車名はまだ無い・後に銀河・彗星となります)
←大阪 1レ                                          2レ  東京→
マニ マイネ40 マイネ40 オロ40 オロ40 オロ40 オロ40 オロフ32

この後25年1月に2等寝台車・特別2等車と3等座席車を組み込んで14輛編成になります。

昭和28年3月 急行 銀河(東京局持ち)
←神戸(大阪より延伸)13レ                                                        14レ東京→
マニ マイネ40 マイネ41 スロネ30 スロネ30 スロ53 スロ53 オロ40 オロ40 スハ スハ スハ スハ スハ スハフ

急行 彗星(大阪局持ち)
←大阪15レ                                                                  16レ東京→
マニ マイネ41 スロネ30 スロネ30 スロ53 スロ53 オロ40 オロ40 スハ スハ スハ スハ スハ スハ スハフ

この時点で基本的な列車編成になります。(月光は座席車編成)
この頃になると接収された車輛もかなり返還されていて戦前よりも列車数は多くなっています。

昭和31年11月19日に夜行特急 あさかぜ が出来て戦後始めての夜行特急となります。
(ナハネ10はこの年の3月から11月にかけて100輛を配置)

オハ二36 ナハネ10 ナハネ10 ナハネ10 ナハ10 ナハフ10 マシ35 スロ54 マロネ40 マロネフ29

マイネ41は基本的に東海道・山陽路での使用とほぼ限定されています。
マイネ40は輛数的にも余裕がありましたが、マイネ41は12輛と少ないのと冷房装置の問題で虎の子的運用になっています。
戦後型の2等寝台車スロネ30も当時は東海道・山陽路の運用が中心でした。


急行 日本海

(出典先 各社時刻表の列車編成と車輛配置表・鉄道ファン等の雑誌から)
昭和22年から501・502レとして運行を開始して昭和25年11月より愛称として日本海となります。

マニ マニ マニ マユ オロ35 スハシ29 スハ スハ スハ スハ スハ スハ スロ60

2号車のスハシは調理室付き3等車で食堂としての営業は不明
9号車のスロ60は大阪・富山間の増結

昭和30年10月 この時点でほぼ基本的な編成が出来ています。
マニ スユ マロネロ38 スロ50 オロ35 スハ スハ スハ スハ スハフ スハフ マロネロ38

9号車のスハフは秋田で解結・10号車のマロネロは増結で富山で解結

昭和31年11月
マニ スユ ナハネ10 マロネロ38 スロ50 オロ35 スハシ38 オハ46 オハ オハ オハ スハフ42 スハフ42 マロネ29 スハフ42
マロネ29とスハフ42は増結時で富山で解結
スハフ42の1輛は秋田で解結

昭和30年代中頃までは大体この編成で(基本11輌)後年にマロネロの代わりにオロネ10が入りスハシ38の代わりにオシ17が入って
並ロの変わりにナハネ10、オハ46に変わってナハ10に入れ替わっていきます。
最終状態になると2等車がオロ61の他は座席車が10系になり、昇格して20系寝台車特急にされていきます。
補完列車として急行きたぐにがこの時に誕生


受け持ちは当初から向日町でスハシ29−100は北海道配置の車輛を転属させて3輛で運用
オシ17に入れ替わった段階で交通博物館へ展示する為スシ28−301という番号で全室食堂車化(元スハシ38−102)
本線での営業は有りませんがC53−45の復活運転の際に京都・神戸間で本線上を走行しています。


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